
へぷっぷ
@ponpoko_haa
2026年1月5日
好き好き大好き超愛してる。
舞城王太郎
読み終わった
@ カフェ
「誰かを愛する」という行為において、剥き出しで、情けない独白のような祈りこそ、敢えて言葉にすべきことだ。
自分の死を身体でもって痛感している相手に「死なないでくれ」と言えるか?相手が少しでも安心できるような耳触りのいいことを言ったとて、何になるのか。
本来愛なんてものは夢の中と同じで、どこまでも自己本位。結末に責任はとれないし、「何年経っても一緒にいよう」は、破られることが前提の誓い。わかっていてもその瞬間に、その言葉が出たこと、2人で100年先の未来を少しでも想像したことの価値は揺らぐものじゃない。
だから、好きなだけ誓えばいいと思う。「超愛してる」からこその祈りを言葉にすれば良い。愛は祈りだから、それが叶わなくても悲しむ必要はない。
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一気に読んで泣いてしまった。ここまで「好き」「愛」について、その形や関係性からではなく、正面から向き合った話は初めてだった。
柿緒の“私ね、治のことがもうホント、超超好きなの。愛してんの。だからね、私のことばっかり治が知ってんのがやなの。悔しいの。”といういじらしさ。手紙を一気には明け渡してやらない、治への独占欲。実は柿緒の方が、最後の最後まで「好きでいる」という生の現在形を諦めていなくて、祈り続けていたのかもしれない。
途中のアダムとイブのお話も好きだった。胸に肋骨を突き刺す覚悟。何にもならないと、全体最適を逸脱していることを知りながら、共に息を引き取りたくなる衝動。とはいえ“いっときの熱気”に過ぎず、いつかは受け入れられるようになること。
改めて、「大好き」の瞬間性について考えさせられた素敵な作品でした。

