みっつー "ぼくには笑いがわからない" 2026年1月6日

ぼくには笑いがわからない
ぼくには言葉がわからない。 相手に想いを伝えるというのは案外難しい。 どんなにおしゃべりな人でも、どんなに仕事ができる人でも、それが相手に伝わらないと、言葉はただの音でしかない。 ゲーム実況を始めてから、ほぼ毎日のように、自分が話す言葉について考える。 こう書くと、ストイックに感じるけれど、全然そんなわけじゃなくて、ちゃんと伝わっているのか、不安になる。 動画を撮って、編集する作業をしていると、ゲームの音と自分の声が聞こえてくる。 正しい間でツッコミを入れられているのか、キャラクターと声が被ってしまっていないか、不適切な発言はしていないか。 そんなことを考える。 一番の懸念は、ちゃんと、このゲームの面白さが伝わっているのかということだ。 今プレイしているような『龍が如く』や『FF15』はキャラクターも個性的で、プレイしていてとても楽しい気持ちになる。 その中で僕がやりたいのは「作品をより面白いものにしたい」ということである。 それがもし、自分のお喋りでゲームの邪魔になってしまっていたりしたら本末転倒である。 とは言えねぇ〜余計なこと喋っちゃうんだよなぁ〜、喋るって難しいのよ、生放送になるともっと大変、言葉の回路が詰まってる時あるよね、あれダメね、あーとか、えーとか、言っちゃうもん。 そんな自分の動画でも、最近では「元気になれます」と言ってくれる人が少しずつ増えてきた。 僕の言葉や、感動がちゃんと伝わってるということが何よりも嬉しい。 迷うことも多い活動だけど、やってて良かったと思える瞬間が存在していることはとても幸せなことだと僕は思う。 上村裕香さんの『ぼくには笑いがわからない』を読んだ。 主人公の耕助は「好きな人を笑わせたい」という一心で言語学を専攻する真面目な大学生なのにお笑い芸人を目指すことになる。 お笑いのことも全く知らないので、まず初めに「お笑いの起源」や「最初の芸人」について調べたりする。 耕助の近くに鈴木雅之がいてくれればすぐに止めてくれたのだろうけれど、残念ながらいなかったので、なんかもっと間違えて怖い話とかしてしまう。彼いわく不合理性の実践だったらしい。ナニソレオイシイノ? 彼のまっすぐさはたくさんの人を巻き込んで行くこととなる。 幼馴染で耕助の理解者である将吉はM-1に出るための相方に選ばれ、腕に「松本人志」と書かれた入れ墨が入った週6で焼き鳥屋のバイトに入っているほぼ焼き鳥屋さんのお笑い芸人を師匠にして、恋した女性に対して「M-1で優勝したらキスしてください!」と言い放つ。 さすがに真っ直ぐ過ぎないか、耕助よ。 とどまることの知らない耕助の知的好奇心は、耕助自身の言葉となり、いつしか、耕助はなぜお笑いにのめり込んで行ったのかが明かされる。 “自分たちで新しく作らなくたって、すでにあるコンテンツを消費するだけで、人生はそこそこ楽しい。 苦しい思いをして新たなネタを作ろうとするなんて、バカだ。” この言葉が個人的にはめちゃくちゃぶっ刺さった。 物を作る上で、これは一生付き纏い続ける感覚だ。 世の中にはたくさんの映画、小説、ゲーム、音楽、YouTube、お笑い、見切れないほど膨大なコンテンツが存在している。 その中で、自分は何を生み出すことができるのか。 どうやったら、楽しんでもらえるのか、感動を与えることができるのか、感情をぶつけることができるのか。 耕助のことを目で追っていたら、気づけば、僕自身も言葉を伝えることの素晴らしさに目覚めてしまったのかもしれない。 これからもたくさん本を読んだり、そして書いたり、ゲームをしたり、言葉を届けたり、それを続けていくと思う。 そしてそれに反応をもらえたら、とても嬉しいんだと思う。 だってそれは、ことばが届いたってことだ。 最後の数ページ、耕助の真っ直ぐさと覚悟に鳥肌が立ちました。 あのページを何度も読みたくなるのと同じくらい、人はたった一瞬の感動のために努力するのかもしれないと思った。 最強のお笑い青春劇がここにあります。
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