オケタニ "絶望と熱狂のピアサポート" 2026年1月7日

オケタニ
オケタニ
@oketani
2026年1月7日
絶望と熱狂のピアサポート
・たしかジュンク堂で目に入って買ったものの一つ。どこでどうやって買ったかをメモっておいた方がいい気がする今後。 ・去年から会議について考えていて、二十の振り返り回が更新されてヤベェと思って聴いたけど、それはトークイベントどうするか問題の連載になっていきそうでひとまずほっとする。 ・ほっとするってなんだよ、自分が考える軸足はトークイベントにないからということだからか。だとして、じゃあ会議とはなんだ、"語りと会議"か? "論から会議へ"、は"論から会議論"になるしな。こうやって一年経った。髙橋久美子氏のプロムナード連載が今週から始まってしまったじゃん。 ・会議のことを考えながら昼に生姜焼き食べて、夜になってやましい理由(本の並びに耶を見つけたことを)機に読んだら、さっき考えてたことに近いことのルポで驚く。 ・会議の場に立ち会うのは全員参加者である、という前提は、大人数になる、当事者と非当事者の境がある、参加理由(立場)がはっきりしてない、みたいなことで瓦解するのだが、ピアはどうやらそれを蓄積と誠実さの回答としてクリアしているらしい。 ・というかひとつの団体に7年くらい参加してる同世代ってすごい。 ・要は、会議とか活動は祭り性を帯びるのが自然だ、ということに向かうのではないか。 たまたま会の初回で神輿をぶっ壊すアクシデントがあって、それが恒例になった、という立ち上がりがめっちゃいいと思う。 ・反転して冒頭のトークイベント論に戻るけど、作っていく祭りをどうデザインするか、その過程を会議ではなく発信する(そしてその発信源である個人、が印象付く)形でやってしまうと、殊更に参加者への演技を求めることになるのではないか。 ・演技を超えたリラックスってなんだ? それに対する解っぽいものも序盤で示される。「歓迎」。 デザインは用意できてもムードの設計はできない、いやできるのだろうが、真心的なものの事前準備を言ってる奴はその時点で疑わしいと人から思われてしまう前提から抜け出せない。 ・参加者がやり取りする名刺のエピソードは忘れたけど思い出したい。新卒飲み会の胸に名前ガムテとの差異は少ないけどデカイ気もしているから考えたい、し、そのノリは別の何かにも行き渡っている話だったはず。だからこれは明日。
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