
kyoro_xcx
@kyoro_xcx
2026年1月10日
奪還
城内康伸
読み始めた
・今は亡き祖母と、私の父とその兄弟(叔母叔父)は、北朝鮮からの引き揚げ組。
・幾度となく祖母から語られた終戦から引き揚げの物語
・祖母達は、海路での38度線越えの脱出。
・日付を確認するに、祖母達は、この引き揚げの神様による差配が始まる前の、1945年12月に北朝鮮から船での脱出を始め46年の1月に38度線を超えている。
・祖母曰く、船で脱出するも、一直線に南朝入り出来ず、都度都度、漁港に寄り、その度毎に金銭を要求されながらの脱出だったらしい。
・38度線をようよう越え、アメリカの船で日本に帰れるとなった時、それが無料だったことに驚いたとのこと。
・南朝に辿りついた時、まだ北朝に居る同胞の脱出のために金が必要だから貸して欲しいとのことで有り金をはたくも、結局はそのお金は返ってこず、自身は無一文の帰国。
・北朝鮮では、それなりの財をなしていたようだが、祖父が現地の使用人に対し、さほど横柄な態度をとっていなかったおかげか、敗戦直後も、元使用人達が食料を調達してくれたりと、何かと助けてくれたとのこと。
・祖母の家の近くに、警察署(朝鮮総督府の)があったようだが、終戦の前日にはもぬけの殻。投獄していた朝鮮人からの報復を恐れてか、在留邦人のことなど我関せずだったそう。このことが祖母の戦後の政府への不信感の根底にあったのかなと、思う今日この頃。


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また、我が家に伝わる話として、北朝鮮にたくさんの桜の木を植えた。終戦時、その桜の木の下に宝石等金目のモノを埋めたらしい。それらは今頃どうなってるのか?国交断絶の今、その地を訪れることも無く、亡くなった祖母。