
くりーむ
@cream
2026年1月11日
山田わか 生と愛の条件
望月雅和
読み始めた
ここの TL に流れて来たため。序文、のみ読みました。
序文はなかなかおもしろい主張から、始まっています。ちょっと書き抜いてみます:
「... さらには、相手のからだを求める強烈な衝動は、制約が効かない強権的な遂行を生み出し、こころとからだを時として暴力的に奪い去る。」
雰囲気としては、なかなか納得感のある一文です。
しかし、「強権的な遂行」という語は、注意して読まなければならいないように、感じられます。
強権的なという形容がなされているように、これは、〈行為者が意図するか否か・実際に何が行われているかにかかわらず、あるものが生み出される〉ということを言っているのであり、パフォーマティヴィティと、片仮名を使って名指されるような遂行にほかなりません。
ひょっとすると、行為の遂行性の様相を明らかにすること・またそれを乗り越えるにはどのような試みがあり得るか、などの観点から読んでみると、おもしろいのかもしれない、とおもいました。(この直観が実際にただし「かった」のかどうかは読み終わってから判断しようとおもいます。)
また、序文には、「教訓」という言葉がおそらく3度、同じ意味をもって使われています。極めて素朴な感覚ですが、「教訓」という考えの枠組みは、それだけで、対象の生を「教訓の範疇」の中に押し込める機能をもっているんじゃないか、とおもわれます。ここでいう教訓というものがいったいどのような内実を持つのか、注意しながら考えていきたいとおもいます。