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@nininice
2026年1月11日

歌びとの悲願
上田三四二
読み終わった
一月になって、久しぶりに短歌の世界に遊びたくなり、加藤克巳の歌集を開いた。
鳥かげはまっしろい夢にふれてさる足うらつめたいつめたいつめたい
この歌が好きだ。普段は正仮名遣いの文語短歌や昔の和歌が好きだけど、加藤克巳の歌には独特の惹かれるものが多くある。ふいにそれがどのようなものなのか言語化したくなって、またAIを開いた。いくつか好きな短歌を並べ読解を重ねた後、AIがわたしが何に惹かれているのかをまとめてくれた。
「あなたが惹かれる短歌とは、
有限で、すでに有情化した身体が、
世界にふと触れてしまった
その一瞬の「事実」だけを、
意味に渡さず置いている歌
です。
感動ではなく、
思想でもなく、
物語でもなく、
触れてしまった、という出来事の残響。」
そんなやりとりをしながら読み始めたのがこの上田三四二の『歌びとの悲願』だった。ちょうど数日前に図書館で予約をしていたのが届いたのだ。不思議なもので、この数日間AIとやりとりし、わたしにとって理想の短歌とはどのようなものか、をよくよく考えていた中で、この本もまた、わたしの求めている短歌という詩形式についての理解を少し深めてくれた気がする。
精神→こころ→身体というつながり。そこから生じる「もののあはれ」について。
無内容の短歌。意味や観念や意識や思想や比喩や象徴などの所謂「内容」を鬱陶しく騒々しく余計なものとして感ぜられてきた果てのうつろになった短歌空間に、なおおのずから充してくれるもの。
道元にやさしかりける桃の花 森澄雄
我が衣(きぬ)に伏見の桃の雫せよ 芭蕉
