綾鷹
@ayataka
2026年1月11日

Tシャツの日本史
高畑鍬名
たまたま目にしたので読んでみた。
面白い内容だったが、
「男性のファッション」に関する内容だったため、
思っていたよりも興味が湧かず...
読み終わるまでに時間がかかってしまった。。
ファッションの流行は制服化し、同調圧力を生む。
先輩世代への拒絶が次のファッションを生む。
時代によってキレイめ、ストリートカルチャー系等、流行りの系統が変わるのも、Tシャツのタックイン、タックアウトの流行が変わるのも、メディアが仕組んだものではない。全時代の形を壊そうとする若者の姿勢や、世の中の流行とは関係ないところで服を着て、自分達の文脈を突き通す姿勢から、「当たり前」が書き換えられた結果であるということがわかった。(「ファッションとは街に対する挑戦である。」という哲学者の千葉雅也のツイートはかっこいい!)
著者が「『幽★遊★白書』では、Tシャツ過渡期の格闘シーンでは、コマによって裾が出たり入ったりするほど、製作陣がタックインとタックアウトに無頓着。登場人物だけではなく、製作陣が時代の同調圧力を受け、その混乱がそのまま掲載されている稀有な例」と表現しているのが面白かった。笑
「SLAM DUNK」は登場人物の性格描写と、Tシャツの裾のイン/アウトがシンクロしており、作者は、はっきりとした意図をもって主人公にTシャツを着せ、物語の冒頭で、その裾を入れている、らしい。
Tシャツがタックイン、タックアウトどちらかなんて注目してなかったから、しばらくは街中でも気になってみてしまいそう。
◾️覚え
・安政6年(1859年)(前年に日米修好通商条約が調印され、横浜・長崎・箱館が開港され、貿易が開始された)時点で、百姓や町人は「異形の服」(洋服)を既に着用していた。
・慶応3年(1867年)(王政復古の大号令発令の年)に福沢諭吉によって書かれた「西洋衣食住」に肌着としてのシャツ(オンドルショルツ)が紹介される。
・明治4年(1871年)(廃藩置県実施の年)に明治天皇が「服制変革の内勅」を出して、洋服を採用。廃藩置県実施前までは公家と武家で、髷が違った。着る服の色も違った。天皇から与えられた位階の上下によって外見がまるで違った。洋服の着用によって、旧藩士たちが身分制度の解体を試みた。洋服・散髪・脱力は、「世襲門閣制による身分制から実力や能力を重視する四民平等へ」時代が変わっていく予兆となった。
・明治時代にはフリースタイルな洋服着用者たちで溢れ、ストリートファッションが誕生し、メディアがそれをバカにする構図が150年以上も前から日本にあった。
・ 1953年(1952年、サンフランシスコ講和条約による日本は独立の翌年)、工夫をすればという条件付きで、本来肌着であるTシャツ1枚で出歩いても問題ないと、女性向けファッション雑誌のコラムで記載される。
・1958年に「六本木族」(日本で最初にTシャツを制服化した族)が誕生。
・1964年、「みゆき族」と「平凡パンチ」(男性向け週刊誌)が誕生したことで、“男がおしゃれをしても顰蹙を買わない時代"になった。
・1967年夏頃、日本でヒッピースタイルが広まり、Tシャツやジーンズの流行をもたらした。(1960年代は「政治の季節」と呼ばれている。権威に反抗する若者たちは、サンフランシスコではヒッピーと呼ばれた。)
・80年代は「雑誌の時代」と呼ばれるほど、雑誌の影響力が強まっていた。雑誌は、その時代の「正解」を規定していくことになる。逆に言えば、雑誌によって「不正解」が誕生した。
・2005年に「電車男」のブームがあり、タックインはみっともないものという認識になった。
・タックアウトの流行は単発で終わらず、何年も続いて風俗になった。
・菅田将暉のスタイル、デンマークのパンクバンド/アイスエイジの来日等の影響で、タックインが若者の間で一般化していった。
