みっつー "東京百景" 2026年1月13日

みっつー
みっつー
@32CH_books
2026年1月13日
東京百景
東京百景
又吉直樹
小さい頃、母に呼び出されて、小学生ながらよく1人で東京の夜へと足を運んだ。 母子家庭で、ひとりっ子な僕にご飯を食べさせるためである。 今思うと、そもそもその時点で母はまだ仕事が終わっておらず、その食事の席で僕自信にご飯を食べさせてあげながら、同席している大人の方と仕事の話をしていたのかもしれない。 時間と場所を伝えられて家を出る。 ちゃんと鍵が閉まっているかを確認して、母からもらっていたパスねっとの入ったお財布を握りしめ、最寄りの駅へと向かって行く。 夕方の電車は酷く混み合っている。 出来るだけ扉の近くに努めていたのは、もしかすると目的地で電車を降りることが出来ないのではないかという不安があったからかもしれない。 基本的に地下鉄に乗ることが多かった。 急行に乗っていると、グレーな景色が急に明るくなったり、たくさんの人の顔が一瞬で過ぎ去っていったり、風を切る音が激しくなったりして、僕はそれをじっと眺めていた。飽きもせずに。 混雑は電車を降りた後も続く。 小学生の小さい手足を動かして、体を運んでいく、時々、人の波に運ばれて、現在地を見失ったりもする。 いつもの改札口から出られないと、強い不安に襲われることもあった。 公衆電話に100円玉を入れて、母に電話をかける。 この頃は100円玉を入れれば制限時間なしで通話する事ができると思っていたけれど、どうやらちゃんと決まっていたらしい。 多分、100円玉分の会話を公衆電話でしたことはない。人生のトータルでもなさそうだ。 なので、ただの小さなブルジョワボーイが、ただただ目的地に着くことができたぞ、と報告している姿が今思い返すと面白い。 仕事モードの服を着た母と合流し、ご飯屋さんへと向かう、先に座っていた大人の方に「イツモハハガオセワニナッテオリマス」と母に仕込まれた挨拶を棒読みでしてから僕も席に座る。 ご飯を食べ終わった後も、母と大人の方の話は終わる気配がない。 そんな時は小さいバッグにパンパンに詰め込まれた星のカービィの漫画を読んだり、ゲームボーイアドバンスの音をギリギリまで絞って聞こえるか聞こえないかの音量で遊んで時間を潰した。 話は終わり、母と帰路に着く。 「あんたを連れてくると相手も気を遣ってくれて早く帰れるからありがたいわ」 と、言われると自分が役に立てていることが嬉しかった。 都心の電車は21時や22時になっても未だに混雑している。 それでも行きで感じていた不安も、緊張感も、母といれば感じなかった。 家に着き、手洗いうがいをして、お風呂に入る。 緊張から完全に解き放たれた僕は、連続ドラマや、深夜のバラエティを一頻り見て、眠くなったら寝る。 小さな僕の冒険はこうして終わりを迎える。 神奈川県に住む、僕にとっての東京は遠出でも無ければ、無理をしていく場所でもなかった。 けれど、お腹を満たした思い出や、涙を流したライブ会場や、小さな劇場でしか見られない映画や、初めて行った古着屋や、アルバイトをしたあの店、全て東京にある。 ピースの又吉さんの『東京百景』を久しぶりに読んだ。 この本は又吉さんが上京してきて、お笑い芸人として活動していく中での生活や、思い出を書き綴るエッセイである。 お金がなかったり、職務質問されたり、先輩や後輩と過ごしたり、恋をしたり。 又吉さんの目に、東京がどのように写っているのか、それを読むのが楽しい。 色んなバンドや、作家さんが「東京」について書いていると羨ましい気持ちになる。 先にも書いた通り、僕と東京の距離は思いを馳せることが出来るほどの距離ではないからだ。 だから僕も「東京」について書きたいと思った。 この機会に思い返してみると、意外と東京という場所にはたくさんの思い出があることに気がついた。 むしろ、思い出すことのほとんどが東京だった。 未だに自分があの場所に馴染めているようには思えないけれど、東京を知るということは、自分を知るということでもあるのかもしれない。 渋谷、新宿、水道橋、八王子、下北沢、二子玉川、代官山、秋葉原、銀座、池袋、それらの場所に僕の思念が存在している。 その場所を書くことで、僕は自分自身をより知ることができるのかもしれないという啓示があったような気もする。 やっぱり好きな本を久しぶりに読むと色んな発見があるものですね。 このエッセイには、又吉さんの小説『劇場』のベースのお話があって、そのお話がとても大好きです。 ぜひ読んでみてください。
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