みぎた
@mj-bt
2026年1月14日
さりながら
フィリップ・フォレスト,
沢田直
読み終わった
かつて読んだ
フランス人である作家の個人的な経験と、その間に挟み込まれる、詩人(フランス人からみれば、俳人は詩人の一種、か?)小林一茶、小説家夏目漱石、写真家山浦庸介の3人の物語。
前者はノンフィクションのようであり、あるいはエッセイのようである。
後者は評論のようであり、あるいは文学論のようである。
これを「小説」といってよいのか?というのは正直なところ。
されど、それらが縦糸となり、横糸となって紡ぎ出されるこの世界の、その交点には、「想い出」「夢」「忘却」「彷徨」「空虚・虚無」「喪失」、そして、幼い子供・子供達の「死」ーそれは、病気によるものだったり、戦争や地震といったカタストロフによるものだったりにしてもーが、決してその輪郭を明確にすることはなく、それでも、浮かび上がる。
それが「小説」ならではのものなのだろう、か。
著者は、フランス人の作家であり、また、大学で比較文化の教授でもあり、小説や多くの評論(その中には「私小説」「大江健三郎」「日本文学」「荒木経惟」などが含まれる)を執筆しているという。
本作はフランスでは2004年に刊行された3作目らしく、日本では2008年に発行されている。
そのタイトルは、小林一茶の「おらが春」の中に収められている句、「露の世は露の世ながらさりながら」の結句。「そうではあるのだが」とでも訳することができるだろう。
56歳で生まれた長女さとが、翌年痘瘡により亡くなってしまった際に詠んだもの。
なお、原題は、“Sarinagara“。
フランス語における同意の”cepondant”ではなく。
