kur "ポストコロニアリズムとジェン..." 2026年1月21日

kur
kur
@korokkoro39
2026年1月21日
ポストコロニアリズムとジェンダー
第6章 「このように議論の焦点を「慰安婦」制度そのものから「強制連行の有無」にずらしたことの効果は、被害者証言の中心にある、慰安所での暴力あるいは「慰安婦」制度そのものの暴力性を議論の埒外に置くのに成功したことである。」 「藤岡の言説で、「暗部」という表現から連想されるのは、「明るいナショナリズム」という概念である。「明るいナショナリズム」と「慰安婦」問題は対極の位置に置かれている。」 「以上のように、小林と秦の議論で展開されているポリティクスは、「売春女性」の主体的な表象を構築することによるサバイバーの証言の無効化である。」 「全体としてなされているのは、性暴力に抗議する女性に対して、「売春婦」というカテゴリーを用いることで、ときに差別的視線を喚起しながら、その主張の正当性を奪い、抗議を無化する手法である。」 「それでは、彼らはサバイバー女性の主張を無化することで、何を守ろうとしているのだろうか。それは、先取りしていえば「国家」の権威である。」 「小林は、現代社会では個人主義の進行のために「私」が肥大化したと批判している。それを食い止めるために「公共性」が提唱され、国家は公共性の代表として権威づけられる。」 「慰安所は「強姦防止」「性病防止」のために設置された。個々の男性たちを「兵士」として生み出し、十全な兵力を再生産するために「慰安婦」が置かれた。「英雄」を生み出すために、女性たちが必要とされたのである。 しかし、国家的関与によって慰安所が作られ、運営され、多くの兵士たちに利用されたという事実は、歴史からされてしまう。「英雄の歴史」では、そのような(性)暴力は、鳴り隠されなければならないからである。 戦争の「英雄たち」を生かすための(性)暴力は、いったん明るみに出た後も誤読され、歴史からこぼれていく。その誤読を成り立たせるために持ち出されるのが、「売春婦」という主体的な女性の表象である。」 「彼らのナショナリスティックな世界観では、性暴力に抗議する女性が存在する余地はない。抗議したとたんに、その女性は公的世界の外部に排除される。 彼女たちが排除される外部は、資本のルールが貫徴する空間であり、自由な主体が貨幣を媒介に関係し、また離れていく。これこそが、彼らにとってのグローバル・パワーの充満した空間ではないだろうか。 彼らのナショナリスティックな排外的世界観は、「むき出しの暴力的な資本主義の世界」に取り囲まれながらも自閉して安定している。その境界線をさまようのが女性の表象なのである。」 「ある論者は女帝の誕生は「女性」の地位の向上につながると論じた。だが、分断が「女性」のアイデンティティの根源にあると考えれば、女帝の出現はむしろ、「女性」間の分断をより深めるものであることが明らかだ。」
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved