全部忘れる
@nananairiii
2026年2月1日
武器としての「資本論」
白井聡
読み終わった
「資本主義の終わりを想像するよりも、世界の終わりを想像することの方が容易だ」- フレドリック・ジェイムソン
日本における資本祭の始まりは、「商品(労働力を含む)による商品の生産」が登場した明治以降。
1980年代、日本では「一億総中流」と言われ階級なんて言葉は古くなっていたが、90年代以降、(アメリカを模範とした)新自由主義化の進行(競争原理、民営化、アウトソーシング)と同時に動きが反対側にターンし資本家階級が肥え太った。「人は資本にとって役に立つスキルや力を身につけて、はじめて価値が出てくる」という考え方の支配(魂の「包摂」)
教育の商品化
商品が持つ二重性
1. 使用価値(質)
2. 交換価値(量)=抽象的人間労働の結晶
労働(力商品)が持つ二重性
1. 具体的有用労働(質)
2.抽象的人間労働(量)
たとえば本と服を作るそれぞれの労働。具体的労働内容は全く異なるが、「それに対していくらの対価が支払われるのか」は比較可能。
労働力の価値を上回るような価値生産を労働者がするから、剰余価値を産むことが可能になる。
労働力の価値は、「賃金の生存費説」(死なないけど働かなきゃいけないくらいの水準)
資本制における労働は、自分のための労働と資本のための労働が区別出来なくなっている。
イノベーションによって獲得される期限付きの剰余価値。技術革新は、この特別剰余価値を獲得するために起こっていて、人間を幸せにするためではなくなっている。
フォーディズム型資本主義
資本とは増え続けるもの(増えないのであればそれは資本とは呼べない)
本源的蓄積(資本主義的生産様式の結果としての蓄積ではなく、その出発点となる蓄積)
情報量の少ないものに馴らされてしまった状態、感性までもが資本に包摂されている。
資本制社会は、生産力を爆発的に上昇させ、かつての人類には想像すらできなかったような物質的な豊かさをもたらしながら、その只中に貧しさをつくり出す。