
いちのべ
@ichinobe3
2026年1月25日

アマニタ・パンセリナ
中島らも
読み終わった
あまりにも面白くて去年の秋から寝る前に少しずつ読んでいたが、とうとう読み終えてしまった。
古今東西のドラッグに関する珍談奇談だけでなく、徐々に作者自身のコデイン(咳止めシロップ)中毒やドラッグ体験、うつ病の話など、実話や私的な内容が増えていくのだが、どれも軽妙で読みやすく、すこぶる面白い。
> なぜ人はかくもトラッグにひかれるのか。社会学者や心理学者の大部の研究を無視して僕はこう答える。
> 「それが気持ちいいからだ」
(p204)
> すべてのドラッグは「自失」への希求ではないかと僕は考えている。
> 公園で、三つか四つの子供たちが、くるくるくるくると回っている。回り終わって倒れそうになるくらいのあのめまい、血の逆行が「気持ちいい」からだ。
> あれはドラッグの根源だ、と僕は見る。
> 人はそうして「自失したい」のである。
(p205)
> では、人はなぜかくも「自失」を望むのか。
> 心理学的にはたくさんの分析ができるだろうが、僕の答えはまた元に戻る。
> 「それが気持ちがいいからだ」と。
> 人間が快楽原則にのっとって生きている以上、聖者もジャンキーも同じ舟に乗っているしえる。禁を犯さず何十年と修行すること、それははなはだドラッグ的だ。
(p206)
「かつて推しのライブや観劇に『熱狂』することで現実や自己を離れる感覚を味わっていたのでは?」とか、
「サウナや『整う』は、『めまい』の遊びに感覚的に近いのでは?」とか、
「激務によって自分自身を見つめなくても良くなること」とか、
ここ最近ふにゃふにゃかんがえている事柄なので、上記の「自失」についての記述がしっくりきた。ある種の宗教やそれに伴う行為においても、「自らを手放す」側面があるのかもな〜
