糸太
@itota-tboyt5
2026年1月26日
つぎの民話
松井至
読み終わった
「言葉が嫌いだった」という人が書いたとはとても思えない。まるで詩のように、頭を経由することなく直接心を動かされる。不思議に思いながらも、いや、もしかしたら逆かもしれないと思い直す。つまり、嫌いだからこそ、こんな風に書けるのかもしれない。
『うたうかなた』という章は、障がい者の集うアトリエが舞台だ。ここには複数の職員が働いているがマニュアルはない。利用者ごとに異なる特性の把握も「ひとりの人間に向き合うことに変わりはないので意味を感じなくなって止めました」と、代表の男性は当たり前のように語る。そんな場のあり方を見て松井さんは、「いつも言葉が持つ分別の能力とは反対を向いて、むしろ分け隔てられてきたものの境をなくして初期化することを試みていた」のではと感じる。
私には、この世界への向き合い方が松井さんの文章と重なって見えた。
言葉が覆い隠してしまう世界がある。饒舌になればなるほど、あるという確かな事実すら忘れてしまう。
それは映像も同じだ。カメラはどうしたって恣意的に世界を切り取ってしまう。そんな道具を携えて、松井さんは悩みつつキャリアを重ねてきたのだろう。だからこそ、カメラをペンに持ち替えても、世界へと触れようとする作法や佇まいは変わらない。
たとえば多様性という概念がある。いろんな人の個性を尊重しようとする態度が大切であることは間違いない。
でも、そもそもが多様なのである。それを画一的に向かわせてきたのが、言葉であり映像なのだということを思ったりした。つまり、自分と相手を分けて考えて、お互いの立場を尊重するという態度がすでに、世界の在り方に即してないのではないか、という直感に出会ったりして、案外慄いたりする。
映像作品へのリンクもある。
こんなにも本が面白いんだ。本業である仕事にはさらに興味津々である。

