
yu
@meeea01
2025年3月8日

読み終わった
高校の頃、バイトに明け暮れて真面目に受けなかった授業内容を取り戻したい、そして周りは教科書を通じて、目を通し歩んだであろう道を自分も歩きたいという思いで、遅ばせながら高校の国語の教科書を購入。
結論から言うと、面白すぎる!!!
教科書ってこんなにおもしろかったのか!!!
現代日本を代表する精鋭な著者たちの1番美味しく、高校生に伝えたい滋味深い文章がページをめくるごとに立ち現れる!
教科書なのに付箋を貼りまくった。
各章の終わりに、読書案内として掲載されてる本も素晴らしい本ばかり。
よくsnsで「これは差別ではない区別だ」と詭弁を弄する方がいるが、ある偏った一方的な視点により片方に有利となり、他方に不利益をもたらすような区別の仕方そのものを差別と呼ぶんじゃないの?と個人的には思っているのですが、そういう区別の暴力性に関してもしっかりと言及されていて、よかった。↓
p12「もともと、認識のためにつくられた「境目」である。しかし、時に境目というものが本来の目的から離れ、物事の「区別」だけでなく、「差別」や「暴力」を呼び寄せることがある。」
p16サイエンスとアートの違いについて
「例えば、普遍性と偶然性。サイエンスの実験では、条件を揃えれば毎回同じ結果になることが求められる。データは平均化され、一回きりの出来事は「外れ値」として扱われる。
しかしアートでは偶然性が大事にされ、平均値よりも「外れ値」にこそ光があてられるようなことが多い。」
「......つまりサイエンスは、できる限り「わたし」を排除する。いっぽうでアートは、むしろ他の誰もが気づかなかった「わたし」の「思う」や「感じる」を切り出して表現する。」
『「!」は、その時によって「いいなあ」のこともあれば「ドキドキ」や「ざわざわ」のこともある。日々のちょっとしたことに心が動く、いわば「プチ感動」にその芽があると思った。』
「大胆に一般化するならば、サイエンスは「!」を「?」に変えて、その答えを追求していくもの。
一方のアートは「!」を形や音に表現していくもの。」
『「!」を感じるには、少しだけ頭を緩めておく必要がある。初めから知った気でいたり、頭でっかちに接していたりすると、「!」は湧いてこない。頭より体を通して感じるようにすると「!」に出会えるように思う。』
「感性は、言葉や観念でなく、体を通した体験からしか生まれない。」by横尾忠則
他にも「論理国語」と「文学国語」の教科書も買ったので、少しずつ読もうと思う。
