なのか "" 2026年1月21日

なのか
なのか
@soh_nanoka
2026年1月21日
蝶
皆川博子
あまりにも、あまりにも良い…。 多分人生でいちばんと言って良いほどに、好きな本かもしれない。以下思いついた内容について好き勝手語ります。
なのか
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@soh_nanoka
幻燈についてあまりに好きすぎるので、書きます。メチャクチャ長いし前後関係も支離滅裂です。
なのか
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@soh_nanoka
幻燈。 女性同士の恋愛と忠誠と、あらゆる感情を一人に注ぎ込んだ生涯についてのお話なのですが、主人公とその女主人のまぐわいを一言で表したこれがどえらいいやらしくてびっくりしました。 ↓ 『奥様は足の爪先を腿のあいだに割り入れ、小さい蟹が這うよう。』 寒い季節だけ湯たんぽがわりに同衾する描写なんですが、布団の中で冷たくて華奢な爪先が一方向にだけ小刻みに往復運動するのを「小さな蟹」に喩えるんですよ。 主人公は奥様の足先を温めるために入っているから、恐らく奥様と向き合いすらしていません。きっと布団の中を温めるために、何なら頭まですっぽり潜って身体に腕を回して温めている。そこに奥様の足先が戯れてくる。 「割り入れる」という語気の強さに対して動き回る足先のか弱さ、暗がりかつ布団の中という不明瞭さ、動きの頼りなさと不規則性、爪の小ささと異物感、それが混じると自分のよく知る「奥様」なのにどこか足先だけが「別の生き物」のようにも思えてしまう。 だけど主人のそれを「性愛」と称することはしない、できない、したくない。 だからそれが「快感」とも「不快」とも書いていない。 いえ、その後の描写を見るにきっと快感だったんでしょう。でもそれを書いた瞬間に、「欲望する者/される者」として像が立ち上がってしまう。 主人公は奥様を求めながら(そして奥様も主人公を求めながら)、その時限に落とし込みたくなかったのだと思います。 望まぬ結婚を強いられて、花を散らすようなまぐわいを迫られる奥様を支えたい、守りたいと思うからこそ、主人公が感じるのも侵略性というよりもどこか甘えて悪戯するようなあどけなさなんですよね。主人公はそんな奥様が大好きで……。 ゔぅ〜〜…、あまりにも強烈、大好き…。
なのか
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@soh_nanoka
まぐわいを見せ物にする中で、自分の背中に幻燈機で女主人(奥様)を投影するシーンについて。 きっとまぐわってるすがたを奥様には見せたくなかったのかも。見物客に「見せ物じゃないよ」と吐き捨てるシーンがあるんですが、本当に、落魄れに落魄れた自分の何処かに奥様が居ないとやってられなかったんでしょうかね。 だけど奥様には見せられない、だから背中に写した。一番白くて広くて綺麗な、奥様を歪ませずに映すことができて、奥様以外に暴かれる自分を奥様に見せずに済む場所だから。 そして同じくらい、奥様に会いたいけど、会いたくなかった。こんなに落魄れた自分では顔向けできないと思ったから。 だけど奥様が居ることに縋りたかったのかも。そして映し出された奥様を、奥様との思い出を、観客にも相手方にも、絶対に譲りたくなかった。 じきにその相手方もおそらく亡くなるんですよね。若しくは捨てられたか。どちらにせよ悲惨であることに変わりはありません。もうひさぐものが無くなってしまったことに変わりはない、朽ちるのを待つだけなので。
なのか
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@soh_nanoka
そして遠のく意識の中で破れ寺の壁をスクリーンにして、奥様を目一杯に映し出す。この時の語りがこれ。 『ひとりになって、幻燈機と一枚の種板だけは後生大事にさ。 畳に苔の生えた無人の破れ寺ですが、生意気にも、コンセントというやつがございますんですよ。壁がスクリーンのかわりになります。』 荒れていた口調が、急に少しだけ柔らかくなるんです。そしてその次にこう続く。 『食べておりませんからねえ、ひだるくて困ります。』 きっと意識が遠のいて、現実から遊離し始めた頭が、自分にとっての「現実(本当)」だった時代にやっと帰ってきた。 壁に映った奥様に語り掛けられたと思ったのかもしれません。 「あなた、こんなに痩せてしまって」「ちゃんと食べてるの」 なんて言われて、少しはにかんで、 「ええ、まあ、わたしはこんな態(ざま)でして」 なんて少し自虐するような。全然悲愴ぶってない、それがあまりにも悲壮すぎる。 そして白くて広い壁に映し出される像を見上げて、 『奥様。美和子さま。いつまでもお若くておいであそばしますねえ』 で〆るの…。 きっとこれが主人公の、最期の言葉だったんでしょう。倖せな幻を見上げて、お屋敷ではなく荒れ果てた寺の中で、腐った畳に身を投げ出して。 パンパンに身を窶して言葉が擦れっからしになるのに、奥様を見上げる時だけは奉公時代の口調に戻るんですよ。 凋落する。 体は老いて売り物にならず、食事にもありつけなくなる。傷んだ畳に沈み込むように、身体を動かすことすらもうままならない。 それなのに、目の働きだけは衰えない。だから蟋蟀の交尾がありありと目に入る。 奥様との戯れは子を成すでもなく、路銀を稼ぐためでもなく、ただの「稚い戯れ」だった。目の前で繰り広げられるそれは、繁殖の、生存のためのもの。 そうして交尾する蟋蟀の眼が「視野いっぱいに占め」る。ぼんやりとただ「見えるものを見る」、死にゆくだけの目に、何処を見ているのかわからない虫の複眼が、本能的に生存に直結する行為をしながら見つめ返してくるのもまた恐ろしい。 でも目が働くからこそ、最期に奥様に会えたわけです。きっと主人公には、主人公だけには、それだけが救いだったのかもしれません。
なのか
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@soh_nanoka
冒頭と文末に置かれている薄田泣菫の「春夜」もまた意味深… <文頭> 花の香碎く風をあらみ、 細き眉毛を顰めつつ、 燈火にかざす少女子の 袖の心を知るや君。 (花の香りを散らすほどに荒い風に眉を顰めながら、ともしびに翳すこの気持ちに貴方は気づいていますか) <文末> 脆き此世に又いつか 春を抱きて樂しまん。 せめて今宵は歡樂に、 智惠の瞳なめぐらせそ。 (儚いこの世ですが、春のような楽しい日々を、またいつか。せめて今夜は何も考えず、歓楽に耽りましょう) やっつけ仕事ですが、口語にするならこんな感じでしょうか。 多分文頭の方が主人公の「現在」で、文末の方が「奥様と過ごした日々の記憶」だと読んでいます。 燈火は先行きの昏い主人公にとっての奥様であり、奥様の像を映すための明かりでもある。その光を消さないように、荒ぶ風(現実)から守る「袖」は、主人公の想いだけ。「奥様、今も貴方が恋しい、会いたいです」って零しているような。恋心というような一義的なものではなく、愛情、恋慕、性愛、忠誠、憐憫、憧憬、友愛、思慕、執着、いろんなものが混ざり合ったような。 文末に挿し込まれるのは、主人公が「一人」になった時の語りに入るシーンなんですよね。 薄れゆく意識の中で壁に映った「いつまでもお若い」奥様を見上げて、主人公は最後の最後まで手放さなかった女中時代の自分に戻る。 どれだけ触れても一緒にはなれない。子は宿らず、奉公という名目が無ければ途切れてしまう。 だけど奥様の脱いだ着物に残った肌の温もりや、うなじを通り抜ける涼しい風の快さ。それは間違い無く、この世の春のような「倖せ」だった。 それを貴方と、またいつか。遅かれ早かれ終わるなんてことも今は考えずに、喜び楽しみ享受したいものですね、と、思いながら、ゆっくりと目を伏せていくような…。 何度も何度も読んでる大好きな作品なんです。三連休の最終日、この話をまた読んで、思いついたことを纏めずにはいられませんでした。 奉公していた頃の奥様との日々があまりにも穏やかで美しくて艶かしくて、衣擦れひとつ、果汁の一滴にすら主人公が「倖せ」を感じる様がありありと書かれているんです。 そのぶんやるせなさ、救われなさが一層際立って、本当に、本当にもう〜………。
なのか
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@soh_nanoka
この幻燈、主人公が倖せを感じる瞬間って、悉く視覚以外のきっかけがあるんですよね。 ・嗅覚→奥様が香を焚きしめる ・聴覚→奥様が琴を奏でて歌を唄う ・味覚→奥様に食べさせた蜜柑の薄い袋と残った僅かな身(原文ママ)を口に含む ・触覚→奥様の体温の残る着物に触れる、奥様と布団の中で戯れる 嗅覚も聴覚も、奥様と同じ空間(空気)を共有する。味覚は奥様が口にしたものを共有する。触覚は正しく身体への接触。 全部「奥様と居る・在る」ことの証明になる。だから倖せ。 逆に視覚。 ・旦那様との行為に使われた桜紙を見つける。 ・旦那様が奥様に付けた鬱血痕を見る。 ・奥様が目の前で木偶になる(焼かれる)。 ・蟋蟀の交尾を目の当たりにする。 全部主人公に現実を突きつけるものなんですね。 もっと言うなら、「世界の残酷さ」を思い知らせるもの。不在でも成り立つもの。 奥様と一緒になれないのも、奥様が旦那様に、そして世界に奪い去られたのも、死にゆく自分に見せつけられる生存と生殖のさまも、全部そう。 だから主人公が背中に奥様を映し出して「見せ物じゃない」と啖呵を切るのも、実際はこの言い方なんですよね。 「てめえたちの目の法楽に映すんじゃねえや。腐れ野郎どもめ」。 多分主人公は「目」から入る情報が悉く法楽(夢)の真逆にあった。 そしてその目は、こんどは主人公へと、主人公に映る奥様に向けられた。値踏みして、判定して、支配して、凌辱する。その視線への嫌悪の現れだった。 わたしを、わたしの奥様を、これ以上汚してくれるなと。 ずっと視覚に裏切られて…というか、傷つけられてきたんですね。 でもだからなんですねえ、最期にその「目」で救われるの…。 ずっと現実を見たくないと逸らし続けていた主人公は、最後になって、自分の意思で白い壁に奥様を映して、生き残った視覚で奥様に再会する。 初めて能動的に「観る」ことを選んだんですね。 その奥様は「幻燈」。つまり「幻」。 伏して蟋蟀の交尾を映す主人公の目は、最期に奥様の幻を見上げた。嗅覚も聴覚も味覚も触覚も、奥様が居なければ成り立たない。だけど視覚だけは、奥様が居なくても成立する。 主人公は自分を裏切り続けた視覚に救われた、もっと言うなら死の間際に初めて視覚の主導権を取り戻した、ってこと……。 う、う、う、うわ〜〜……とんでもない……
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