石坂わたる
@ishizakawataru
2026年2月10日

ラグビー 荒ぶる魂
大西鉄之祐
「一つのチームがちゃんと均衡がとれたものであったときには、その役割一つひとつがちょっとぐらい弱くても、チームは強くなるというチームワークの原理を、新人のときから教えられた。身をもって僕はそれを知った。だから僕が、チームのなかでスタープレーヤーがいなくても勝てると言ったり、みんなちゃんと自分のポジション、自分の役割をしっかり果せば負けることはない、ということを若い選手たちに教えていくのは、自分自身が経た体験から話しているのです。」
「ノーサイドになると、敵味方の区別なく、ポジションの区別なく語りあい、またの機会の奮闘を誓いあう。そういう、ラガーマンならではの世界が、地球上のさまざまな場所にあるということを感じる。それがラグビーの偉大さではないか、そういうことをいまつくづく感じています。何となく始めてしまったラグビーとのつきあいが、もう五〇年以上になりますが、ラ
グビーの持っている魅力に引きこまれるまま、僕は歩んできたように思います」
「ラグビーの戦法としてゆさぶりというものをやるのならば、なぜゆさぶりを早稲田はやるのだということをもっと部員全部に徹底して教えるべきではなかったか。早稲田はゆさぶりをやるのだ、それで勝ってきたのだということはみんな知っているけれども、部員全部が、ゆさぶりというのはどういう理論に基づいて、どういうふうにやるのかということは、慣習的にサーッと練習のなかで覚えているだけで、しっかりした理論をまだもってなかった。それがあの年に、技術も練習も非常に積んだけれども、負けた一つの原因ではないか。もっと部全体に、あるいは選手全員に、ゆさぶり理論を徹底していけば、勝てたのではないかという感じがする。
だから、僕が監督になってからはその点を大変考えた。ラグビー部のように伝統が長いと、伝統という一つのベルトコンベヤーが流れているのと同じだから、その上でずっとやっているとやることが似てくる。そしてマンネリに陥ってしまう。それで勝っていると、そのやり方をやっていれば隣てるじゃないかということになり、なぜこれをやるのかということを忘れてしまう。
よくこのごろ日本の強いチームが試合をやり、ある程度勝ち続けると、何だかこうやっていれば勝てるのだということになれてしまって、あとは研究しないで、そしてマンネリに陥って負けていくケースがあるが、早稲田もあの当時そうなっていたのではないかという気がします。チームがマンネリに陥るということは、一人ひとりのプレーヤーが考えてプレーしなくなることと裏腹なのです。」
「収集した情報と研究の組織化による理論的戦法の成立は、次いで具体的戦法の開発に向けられます。具体的戦法の開発は、そのチームまたはプレーヤーに最も適した合理的な攻防の理論を、多数ある理論的戦法の中から選択して適用することなのです。もちろん具体的戦法を勝率の最も高いものにするためには、プレーヤーが持つ技術をその戦法に適応した最高のものにしなければなりません。
しかし技術を科学的に研究するだけではスポーツでは勝てないことは、少しゲームをやればわかるでしょう。科学的研究は客観的操作の可能なものごとの認識と、その認識にもとづくものごとの支配については偉大なる業績をあげてきました。しかしスポーツという一種の闘争(英知による闘争のゲーム化)という特殊な情況の中において、プレーヤー自身が客観化できないことがらに対しては、個人の意志や感情はもちろん、時に思考や判断さえ力とはなりえない。こうした事態における自己コントロールは、そうした事態を何回となく体験して、その経験の累積の中で体得する以外に方法はない。幸いにしてこれらの事態は、ゲームの中に満ちあふれています。
ゲームにおけるピンチとチャンスは最大の緊急事態です。勝敗の岐路はこれに対し、いかに適切な処置ができるかどうかにかかっているからです。…同時に、スポーツは闘争です。そして闘争には恐怖が伴う。旺盛な闘志と勇気をもって、この恐怖をのり越えなければゲームには勝てない。大試合における闘争の倫理の葛藤ほど対処のむずかしいものはない。汚ないプレーをしても勝負に勝ちたいという誘惑にかられることも、ないとはいえません。こうした善悪二律背反の間での修行とフェアーな行動こそ、ゲームにおける最も重要なものなのです。
スポーツの勝負におけるいろいろな情緒的行動ほど、コントロールのむずかしいものはありません。ここにスポーツを通じてのもう一つの教育的価値があると思うのです。愛動する社会の闘争、あるいは競争の渦中にあって自らの情緒的行動をいかに平和にコントロールするか。こうした修行の過程が、ゲームの中に存在すると考えるからです。」
