高山碧瑶 "美と共同体と東大闘争" 2026年2月12日

美と共同体と東大闘争
美と共同体と東大闘争
三島由紀夫,
東大全共闘
安定、安全、成長の神話に現実の矛盾を覆い隠された戦後体制への異議申し立てという点に置いて三島由紀夫と全共闘は驚くほど一致している。 ドキュメンタリー映画を観た時は議論が噛み合っていたこと、そして右翼思想のデマゴーグとして見えていた三島由紀夫が魅力的に見えた事が印象的であった。 双方の対話で重要なキーワードとなった事が「時間の継続性」である。 全共闘は三島の世界観における時間の持続性(歴史観と言い換えられる)はある種の幻想であり現実に於いて実現するとそれは歪められ、古事記のヤマトタケルのように現世での敗北と死そして伝説となるといったプロセスでしか示現できないことを指摘する。 一方で三島はそういった過去の時間の継続性から現在を切り離し、未来への継続性を重視しない(議論の中で全共闘側の学生は解放区は過去の時間や権力関係を封鎖して出来上がるが、どれだけ長い間それが継続するかは問わないとした)姿勢に対し、継続性を否定しながらもアンフォルメンタルなゼリー状の未来に賭ける構造から逸脱できていないと批判した。 双方の指摘は後の三島の死と全共闘運動の退潮、全共闘世代の体制への組み入れを予言しているように感じた。 最後に討論を終えた後の東大全共闘の学生が書いた言葉が現代の芸術および政治的状況を示唆しているようだったので引用したい。 "言葉の物神化と経験主義の奇妙な混希。そもそも平和と民主主義が空洞化したというのさえ滑稽なのだ。平和と民主主義は戦後体験に与えられた名辞に過ぎない。おまけに己れの立場の無限肯定。すべては言葉が外在的であったということに始まる。それは近代日本の知と経験のあるいは知識人と民衆の関係の不毛な伝統が風化されて生じた姿である。私は日本的転向が言葉の崩壊から経験への無限回帰を生むか、あるいはまるで玩具のように言葉を次から次へと取り替えるかのいずれかのパターンに代表される、不毛なのだ。"(P.148)
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved