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高山碧瑶
高山碧瑶
高山碧瑶
@uya_20250906
ベンゲット帰りの写真屋。 写真、科学、哲学多めです。
  • 2026年4月9日
    綾部発 半農半Xな人生の歩き方88 自分探しの時代を生きるためのメッセージ
  • 2026年4月9日
    生きることでなぜ、たましいの傷が癒されるのか
    ルワンダ内戦ではツチやフツ穏健派がフツ系の政府とフツ過激派によって殺害されたルワンダ虐殺がクローズアップされてきた。しかしこの内戦後に亡命ツチ系のルワンダ愛国戦線(RPF)の反攻と体制転換、それによって発生した亡命フツ系の武装勢力とRPFによるアバチェンゲジ紛争によって多くのフツ、ツチ双方の国民が虐殺や殺害の対象となった。 著者のフィールドワーク地域のムサンゼ地域は住民のほとんどがフツ系で、アバチェンゲジ紛争での犠牲者が多かった。しかし現在のRPF主導の政権下ではフツ系側の被害を語ることは虐殺イデオロギー法をはじめとする法律によって処罰の対象となるリスクがあり、住民たちは沈黙を余儀なくされている。 本書ではこのような状況の中で住民たちがどのように戦災の傷から回復しているのかをインタビューや教会·講·死生観の調査によって明らかにしてきた。 内戦によって誰もが不条理な死とコミュニティの断絶を経験するなかで、生活を通してコミュニティの再建と共存によって被害者加害者の和解を目指しているというのが、この本の問い「生きることでなぜたましいの傷が癒されるのか」の一種の答えになっていたように読めた。 災害や戦争の傷を個人の内面の問題としてとらえる精神医学のアプローチに加え、コミュニティによる人間の回復というのはこれからもっと重視されていく必要があるのだろう。
  • 2026年4月9日
    ソクラテスの弁明・クリトン(プラトン)
    オーディブルで聴いた。朗読されるとソクラテスの裁判と対話が再現されるようで臨場感があった。 『弁明』ではソクラテスが哲学者としてやりたかった事が概論されていて「無知の知」というキャッチフレーズで知った気になっていたソクラテスという人物の行動原理があぶり出されていた。 『クリトン』はソクラテスがなぜ法に則って死刑判決を受け入れたかを友人クリトンに説いた対話集。「アテナイの国法によって自身は70年学び、市民としての役割を果たして生きながらえてきた。それから逃れ、あるいは異議申し立てをしようとはしなかったというのに、自身の死に際して法を毀損するべきではない」という考えは法の支配が毀損されつつある現代においてなぜ法の支配が重要と言われているのか、わたしはなぜ法を守らなくてはならないのかという問いに示唆を与えてくれる。 一方で暴走した民意と悪意を持って法を利用する者によって冤罪が生まれ、ソクラテスが死ぬという事は不正義であるとわたしは考えるが、その場合法に従う事が果たして正義なのかは疑問だ。 法を超える正義が存在するという考え方が現代の法の支配の毀損(政治家がポピュリズムを利用して恣意的な法の運用や改正を行う、または革命やクーデター、戦争によって体制転換を図るなど)を生んでいるという事実だが、、、 この矛盾にどのような解決方法があるのか、あるいはこれが法の支配の限界なのか疑問は尽きない
  • 2026年3月29日
    新九郎、奔る!(20)
    新九郎が戦国武将らしい動きをし始めた。 受け継いだ物を周囲や上の様子を伺いながらやりくりするのではなく、自分の実力で勝ち取る事。既存の価値基準が揺らいだ時代にはそういった動き方が求められるのかもしれない。
  • 2026年3月27日
    水車小屋のネネ
    水車小屋のネネ
    子どもの頃、周囲にはこんな大人が居たなと登場人物に重ね合わせる自分が居た。 誰かの善意を受け継いで生きていきたい
  • 2026年3月27日
    新九郎、奔る!(19)
    足利茶々丸がなし崩し的に挙兵。目の前の好機を逃がさないしたたかさと、子どもらしさが共存した人物で新九郎が彼を追い詰める史実を知っていても、どう話が展開するか見逃せない
  • 2026年3月23日
    映像研には手を出すな!(10)
    みんな生きづらさ抱えてるんだな。 浅草氏が主体的に人との関わろうとしている
  • 2026年3月23日
    秋期限定栗きんとん事件 上
    アニメ見たので読んでいる。 主観の入れ替わりが明解でよりスリリング。
  • 2026年3月18日
    新九郎、奔る!(18)
    今川家の家督争いの次は足利将軍家、、、 ずっとお家騒動のために奔走中
  • 2026年3月18日
    いのちの樹 The Tree of Life IKTT 森本喜久男 カンボジア伝統織物の世界
    手と織物の写真が続くパートがめくっていて楽しい。 触れたくなる写真だ。
  • 2026年3月18日
    極限高地
    極限高地
    チベット、アンデス、エチオピアー世界の極限地帯を撮り続けてきた写真家野町和嘉が高原地帯の人々を追う。 過酷な高地に生きる人々の眼差しは澄んでいる。それは物質文明に濁った私たちの精神をのぞき込んでいるようだ。 厳しい環境の中彼らは私たちと同じように祈り、耕し、家畜を追い、遊ぶ。そこに人類が普遍的に持つ生命の輝きのようなものが感じられる。
  • 2026年3月18日
    さよならデパート
    私が取材や旅に使っているキャリーケースはかれこれ12年前デパートで買ったものだ。確か受験のための旅行に合わせて母と選びに行った。 「丈夫ですし、修理もできますからずっと使えますよ」 と店員に勧められて買った事を覚えている。 そんなさくらの百貨店も2017年に閉店した。キャリーケースの他にもさくらの百貨店で買ったものたちは品物が良かったのか、今でもわが家で現役で活躍しているものが多い。デパートでの買い物は商品を探したり選んだり買うためにお金を貯めるのも含めて楽しい思い出ばかりだ。 この本は2020年山形でひっそりとその歴史に幕を閉じた大沼百貨店のお話。明治の百貨店草創期から戦後の高度経済成長期、そして平成。百貨店の歴史はドラマより劇的だ。
  • 2026年3月6日
    さよならデパート
  • 2026年3月3日
    存在認識の道―存在と本質について (1978年)
    存在認識の道―存在と本質について (1978年)
    17世紀のイランに実存主義を唱えたイスラム法学者がいたとは!
  • 2026年3月3日
    文藝 2026年春季号
    瀬戸夏子x青松輝の対談「短歌ブーム以後」を俯瞰するが気になり購入。 短歌表現を意味/テクスチャーの軸で読み取ろうとする読み方に発見があった。短歌はもちろん意味性テクスチャー性で完全に分類しきれるものではないが、その2つが絡み合って表現が広がり新たな価値観が生まれる可能性に言及している青松輝さんの発言は考えさせられる。 今は九段理江さんの小説「No Time to Die」を呼んでいる。ビリーアイリッシュの歌や単語帳をブリコラージュした表現によって立ち上がってくる時間性が今読むことに意味がある小説だ。
  • 2026年2月26日
    この地上にわれわれの国はない
    この地上にわれわれの国はない
    一般社団法人 もう一つの写真記録のホームページで閲覧。 1960年代の公害とそれに対する闘争の広がりを感じられた。 工業化の影で身体の健康やコミュニティ維持の権利が制限され、国民の豊かさを追求するはずの資本主義が逆に国民の健康や環境にダメージを加え困窮と健康被害をもたらしている状況を鋭くイメージ化している。これだけの状況把握を集団制作によって作っていった全日本学生写真連盟の熱量はすごい。 一方でここまで断定的に現実を整理するに至る議論や悩みが感じられない編集方針に時代の差を感じた。 敵と味方、自己と他者を明確に区分し犠牲者の側に立つことによって免罪されるという考え方はこれから作られる社会的写真表現においては通用しないのではないかと思う。
  • 2026年2月24日
  • 2026年2月24日
    In The Place Of The Public (Positions in Contemporary Art)
    田尻歩『ドキュメンタリー写真を発明し直す』で紹介
  • 2026年2月24日
  • 2026年2月23日
    日本のまちで屋台が踊る
    フィリピンにすんでいたときよく露店や屋台、市場を利用していた。 街の活気が大好きだったのだが、あの活気が最も表れていたのがそれらの場所だった。日本に帰国してあまりにも小綺麗な街に物足りなさを感じている。 僕達にはもっとインフォーマルなもの達が必要だ。東京に屋台を、日本にアナーキーを!
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