

高山碧瑶
@uya_20250906
ベンゲット帰りの写真屋。
写真、科学、哲学多めです。
- 2026年2月24日
- 2026年2月24日
- 2026年2月24日
- 2026年2月23日
- 2026年2月20日
- 2026年2月18日
- 2026年2月18日
どうすればよかったか?藤野知明読みたい映画観た - 2026年2月18日
福島モノローグいとうせいこう読みたい - 2026年2月18日
仙台あらえみし日和土方正志トークイベント読み終わった買ったサイン本@ 古本あらえみし杜の都仙台で出版·古書店『荒蝦夷』を営む土方正志さんが仙台の地元紙、河北新報に2019年6月から2023年4月まで連載していた分のエッセイ集。仙台でまちのお店情報でお馴染みの雑誌『KAPPO』の版元プレスアート社刊。 新聞の向こうにいる町の人々に向けるような語りの中には町のニュースや本づくり、新米古書店主としての活動、はたまた自分の好きな本の話まで盛りだくさん。 帯に書かれた小説家の佐藤厚志さん(芥川賞作『荒地の家族』)のひと言"しかし、どんだけ本が好きなんだ、この人は。"も頷ける 仙台のまちに興味ある方はもちろん。本好き、映画好き、写真好きにもおすすめです。 - 2026年2月12日
- 2026年2月12日
- 2026年2月12日
永瀬清子詩集永瀬清子,谷川俊太郎買った@ 詩人 永瀬清子の生家赤磐市の詩人永瀬清子の生家にて購入 夕暮れ時に訪問したので神話の世界が生活に迫ってくるような土地だった。佐々木基一の『リアリズムの探求』における神話のリアリズムの話を思い出した。
- 2026年2月12日
美と共同体と東大闘争三島由紀夫,東大全共闘読み終わった買った@ 飯野書店安定、安全、成長の神話に現実の矛盾を覆い隠された戦後体制への異議申し立てという点に置いて三島由紀夫と全共闘は驚くほど一致している。 ドキュメンタリー映画を観た時は議論が噛み合っていたこと、そして右翼思想のデマゴーグとして見えていた三島由紀夫が魅力的に見えた事が印象的であった。 双方の対話で重要なキーワードとなった事が「時間の継続性」である。 全共闘は三島の世界観における時間の持続性(歴史観と言い換えられる)はある種の幻想であり現実に於いて実現するとそれは歪められ、古事記のヤマトタケルのように現世での敗北と死そして伝説となるといったプロセスでしか示現できないことを指摘する。 一方で三島はそういった過去の時間の継続性から現在を切り離し、未来への継続性を重視しない(議論の中で全共闘側の学生は解放区は過去の時間や権力関係を封鎖して出来上がるが、どれだけ長い間それが継続するかは問わないとした)姿勢に対し、継続性を否定しながらもアンフォルメンタルなゼリー状の未来に賭ける構造から逸脱できていないと批判した。 双方の指摘は後の三島の死と全共闘運動の退潮、全共闘世代の体制への組み入れを予言しているように感じた。 最後に討論を終えた後の東大全共闘の学生が書いた言葉が現代の芸術および政治的状況を示唆しているようだったので引用したい。 "言葉の物神化と経験主義の奇妙な混希。そもそも平和と民主主義が空洞化したというのさえ滑稽なのだ。平和と民主主義は戦後体験に与えられた名辞に過ぎない。おまけに己れの立場の無限肯定。すべては言葉が外在的であったということに始まる。それは近代日本の知と経験のあるいは知識人と民衆の関係の不毛な伝統が風化されて生じた姿である。私は日本的転向が言葉の崩壊から経験への無限回帰を生むか、あるいはまるで玩具のように言葉を次から次へと取り替えるかのいずれかのパターンに代表される、不毛なのだ。"(P.148) - 2026年2月10日
- 2026年2月9日
美と共同体と東大闘争三島由紀夫,東大全共闘買った読んでる@ 飯野書店 - 2026年2月9日
読み終わった買った@ 裂け目写真におけるリアリズム、集団制作についての論考。とあれば日本リアリズム写真集団の関係者としては読まねば 本書ではアメリカの写真家·批評家のアラン·セクーラ(『フィッシュストーリー』)を引用して既存のドキュメンタリーを事実の再現を志向するだけのものに留まっていると指摘し、現実に密接な撮影された写真をプリントによってその意味性から引き剥がし、再構築することによって社会関係を可視化できるという批判的リアリズムをまず提示した。 この論をもとに中平卓馬やマーサ·ロスラー等の写真家や全日本学生写真連盟などの集団製作を論じる。 私が今日の日本のリアリズム写真に感じていた物足りなさと可能性について参考になる示唆に富んでいた。JRPの皆にも共有したい1冊だった - 2026年2月2日
- 2026年2月2日
スパルタ 古代ギリシアの神話と実像長谷川岳男読みたい - 2026年1月31日
街とその不確かな壁(下)村上春樹読み終わった買った@ 飯野書店この小説は"物語"の話なのかもしれない、壁に囲われた街は第1部で主人公が17歳のとき少女と共に築きあげ、第2部でイエローサブマリンの少年に共有され、第3部で引き渡される。そして"物語"には現実のような時間は存在しない。主人公は現実と非現実を行き来している。と私には読めた。 撮影され写真の私は私でありながら私の影であり、物語に投影された私もまた影と分離されて定着された存在なのかもしれない。 いろいろと考えてみたが確かな答えが導きだせない。 作中のこの会話がメタ的で面白く、記憶に残った。 「そうね。そういう物語のあり方は批評的な基準ではマジック·リアリズムみたいになるかもしれないけれど、、ガルシア=マルケスさん自身にとってはごく普通のリアリズムだったんじゃないかしら。彼の住んでいた世界では、現実と非現実はごく日常的に混在していたし、そのような情景を見えるがままに書いていただけじゃないのかな」 「つまり彼の住む世界にあっては、リアルと非リアルは基本的に隣り合って等価に存在していたし、ガルシア=マルケスはただそれを率直に記録しただけだ、と」 「ええ、おそらくそういうことじゃないかしら。そして彼の小説のそんなところが私は好きなの」 - 2026年1月28日
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