

高山碧瑶
@uya_20250906
ベンゲット帰りの写真屋。
写真、科学、哲学多めです。
- 2025年10月10日生物進化を考える木村資生借りてきた読み始めた
- 2025年10月10日わさびの日本史山根京子読みたい
- 2025年10月2日菅原克己全詩集菅原克己買ったまた読んでる@ スローバブックス"虫の声をきいていると 夜のもひとつ向うに 静かな世界があって、 そこのかれらが なかよく暮らしているようだ。 ぼくも、暗い夜を通って あかるいところに行こう。"『夜のもひとつ向うに』 庭でたばこを吸いながら読んでいると蟋蟀の声が聞こえる
- 2025年10月2日
- 2025年9月28日風土和辻哲郎読みたい
- 2025年9月28日美学入門中井正一読みたい
- 2025年9月27日アジアの在来豚田中一栄・黒澤弥悦読みたい
- 2025年9月27日血い花室井佑月読みたい
- 2025年9月27日ミライライフライ(1)雨田青買ったまた読んでる@ 明屋書店 中野ブロードウェイ店『ドキュメンタリーとはー 見る 見せる 私が見て 私が記録して 私が存在する』(冒頭より) 私はいまドキュメンタリー写真の作品を制作している。 見た本の書評を書いている。 時には本をつくる。 それは私が存在し見たものをあなたにも見て欲しいから、それがあなたの糧になってくれることを願っているから
- 2025年9月27日
- 2025年9月27日ミライライフライ(2)雨田青読み終わった買った@ 明屋書店 中野ブロードウェイ店カメラは見る装置なんだよわかるかァ? 覗き趣味なんて物好きじゃねぇと ドキュメンタリー監督にはなれないワケェ 登場人物表現者ばかりだが、カメラ持ってる奴らが一番ヤバい、、、凶暴で、生命力に溢れ、そして世界を愛している
- 2025年9月26日菅原克己全詩集菅原克己買った読んでる@ スローバブックス
- 2025年9月26日
- 2025年9月25日その先の世界へ長倉洋海借りてきた読み終わった同時に『街とその不確かな壁』を読んでいる。 戦場カメラマンのイメージが強い長倉洋海だが。彼の写真は人間の生きる世界に関心を向けている。私たちは何者か、何処から来たか、何処へ行くのか。 国々を渡り歩いてその土地と人々の幾層ものレイヤーを行き来しながらそれを捉える写真はどこか街とその不確かな壁のようなマジックリアリズムの小説のようでもある。
- 2025年9月25日借りてきた読み終わった「アメリカを再び偉大に(Make America Grate Again)」という標語がアメリカを席巻している。1950年代のアメリカは第二次世界大戦に勝利し、物質的にも文化的にも世界のトップランナーと言える黄金時代だったと言える。 1955年林忠彦はミスコンの日本代表付きのカメラマンとしてアメリカに降り立つ。 ボヘミアンたちが集っていたブルックリン、夏の観光地コニーアイランド、ニューヨークからカリフォルニアまで貪欲にカメラアイを向けた。 突然の雨に駆け出す若い黒人のカップル、屈託なく笑う女性。傷痍軍人だろうか松葉杖の男の表情も明るい。 もしかして偉大なるアメリカはすべての人にチャンスと豊かさをもたらす寛容さにその源泉があったのではないか? 林忠彦の憧憬から私はそんなものを読み取れる。 この写真集の中で1枚違和感を感じるものがあった。広島原爆への反対を訴えるプラカードを持った男の写真だ。この1枚は後の原爆スパイ事件から吹き荒れる赤狩りの未来を連想させる。アメリカをふたたび偉大にと願うのであれば、何がアメリカを偉大にしたのかそれを見つめる必要があるのではないだろうか?
- 2025年9月25日街とその不確かな壁(上)村上春樹読み終わった買った@ 飯野書店壁、影と平行世界というモチーフは『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』と共通している。しかしこの壁に囲まれた街とは何を暗示しているのか。壁とは頭蓋骨のことなのか自他の境界のことなのか、、、、 第1部では2つの世界を行き来していて『世界の終わり、、、』と似た展開を予想していたが第2部では一転現実世界だけで話が展開され始める。 いよいよどう落ちるのか気になってきた
- 2025年9月17日人間の都市西尾善太読みたい
- 2025年9月17日新九郎、奔る!(10)ゆうきまさみ読み終わった買った@ 飯野書店新九郎(のちの北条早雲)と太田道灌が初対峙 新九郎は今川氏の相続問題のために奔走。 自分より1枚も2枚も上手の太田道灌との駆け引きも必見
- 2025年9月17日読み終わった買った@ ニコンプラザ東京2025年9月の作者の展示『土脈』にて作者にお会いした。 同年春に北井一夫賞を受賞していて、船橋市写真展で観てから欲しかったと話したところ送ってくださった 林さんの写真は都市スナップの写真作品に見られるような浮遊する意識がありながらも、どこか地に足がついているような不思議な印象を呼び起こす。 『Time Capsule』は千葉県の農家に嫁いだ林さんが住んでいる地域を歩いて撮った作品で、農村や家がだんだんと高齢化過疎化で失われていく感覚そしてそれを守れなかった自分たちの事を思いながら撮影した作品だという。 意識的にしろ無意識にしろこの喪失感は2010-2020年代を生きる日本人全員が共通して持っている時代精神なのではないだろうか? しかしながら実際に手を動かして田畑を守り、カメラのレンズを通じて周囲の世界をタイムカプセルに納めてゆく林さんの行動からは喪失感とともにありながら虚無主義を感じない。 「川の水が清らかに澄んだ時は自分の冠のひもを洗えばよい、 もし川の水が濁ったときは自分の足でも洗えばよい」(五木寛之『大河の一滴』)
- 2025年9月9日痛みの〈東北〉論山内明美読みたい
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