
𓇌𓅱𓇌
@dccxxiv___
2026年2月15日
読み終わった
再読
p.200
精神、つまり人間の頭脳活動が、本当に電子化できるものなのか、という疑問に完全に答えることができないからだろう。
現在の記憶と、頭脳の計算能力をデジタルで移植したとき、たしかに、そこに同等の機能が再現できる。生きている感覚もたしかに得られるだろう。人間の心、スピリッツは、ヴァーチャルでも遜色なく活動するし、むしろより活発に機能するだろう。
しかし、本当にそれが生きていることになるのだろうか?
この思考が行き着くところは、生きていることの価値は何か、である。
ヴァーチャルでは、人間が生きることで得られる感覚のすべてを再現できる。すなわち、生きている心地がする。だが、その心地は、本物なのか?
かつて、人間は子供を産み、新しい世代に将来を託した。また、常に成長と老衰という経時変化とともにあった。老化を科学的に回避したとき、子孫を産む能力を失った。それは、もともと同じものだったからだ。
植物は枯れるから種を残す。死ぬから生まれる。成長することも老化することも、同じ現象であり、それは人類だけでなく、すべての生命の遺伝子に組み込まれたプログラムたった。
そのプログラムから逃れようとすることは、パラダイム・シフトにはまちがいないが、しかし、そこで失われるものが必ずあるだろう。それを予感させるものも、このプログラムによる自己防衛反応にすぎないのか、それとも、大いなる絶滅の危機に対する最後のストッパとなりうるものなのか。
僕にはそこが、まだ、どうしても見極められないのだ。