綾鷹
@ayataka
2026年2月16日
在野研究ビギナーズ
荒木優太
「在野研究者」とは、大学に属さない、民間の研究者のことだ。
卒業後も退職後も、いつだって学問はできる!
現役で活躍するさまざまな在野研究者たちによる研究方法・生活を紹介する、実践的実例集。
「在野研究者」という存在を初めて知り、読んでみた。
在野研究のメリットは好きなことを好きなペース・方法で研究できること、デメリットは資金・時間の不足、資料の閲覧制限、モチベーション維持の困難さ等。
個人的には朱喜哲さんのお話が良かった。
今まで研究をしたことがないため、自分が在野研究者となるイメージは持っていないが、研究者型のビジネスパーソンの考え方を知り、日々の業務の先のより大きなテーマを持つことを考えたい。
・ちなみに、筆者がよく読む分野は、情報法学、憲法学、法哲学、公共政策学などだ。「情報技術は人と社会にどのような影響を与えるか?それにどう制度対応すべきか?」という関心が先に立ち、ディシプリンは後から付いて来いよ的なパワープレイをしているので、雑食化した。その反面、興味がひとつの分野全域には及ばない。例えば、筆者が専門にしている(はずの)憲法学について、統治機構には強い関心があるが、人権・基本権論にはあまり食指が動かない。こうした興味の限局性(または既存分野との噛み合わせの悪さ)
が、専任研究職に向かないと自己診断した理由のひとつである。他方で、情報技術を社会実装する現場にいる方が、守秘義務などで外からは得がたい先端の知見を蓄積でき、筆者の問題関心に資するとの直観もあった。
・一人で論文を読むのも面白いが、誰かと議論するのも楽しい。自分とは違った視点をもらえるし、対話により思考が整理される瞬間が嬉しい。
しかも他者との討議は、研究を生み出す側に回る第一歩になる。自分で問いを立て、妥当な方法を選択し、答えを出すことが研究だ。問いと答えの枠組みを適切に設定するスキルは、訓練で身につく。前提や出典を示すのもそのひとつだ。例えば、歴史学者の興那覇潤は「情報が錯綜する現在、みずからの主張の典拠を明らかにしつつ発言するのは、【中略)
根拠のない不当な批判に貶められないよう、あるいは自身が結果的に誤った言動をしてしまわないよう、発言内容のうち直接責任を負える範囲を明示して「自分を守る」ことでもある。そのように足場を固めることで、人は未知のこと、答えがまだ(あるいは、永遠に)
出ない問いに対してすらも、論じる作法を手に入れる」と指摘する。
・大学の聴講生になることもおすすめである。自分の専門分野で興味深い研究を行っている研究者が、自宅や勤務先近くの大学で講義をしている場合は、勉強の補助として聴講できるどうか調べてみるといい。また、聴講生になると図書館の利用アカウントがもらえる場合があり、図書の貸出や電子ジャーナルへのアクセスが可能になることもある。腕講費用が年間一0万円から二〇万円程度かかるが、自宅や勤務先の近くの大学の聴講生募集に関する情報を調べてみることをおすすめする。
・GoogleBooksで本文レベルの言葉が直接引ける
・国会図書館が人文リンク集を提供している
https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/humanities/humanitieslinks
・ウィキペディアの項目を見て、そこに文献の引用があれば確認する
・どの分野にも言えることだが、在野の場合、各々が自由な視点、やり方で研究を進めることができる。何らかの研究成果を発表する義務もないから、例えば昨日はアニメキャラクターとしての妖怪を調べ、今日は古典文学に記された妖怪を調べ、明日は絵巻に描かれた妖怪を調べる、といった統一性のないこともできる。
・筆者はこれまで偏狭な視野のもと、見えない将来への不安に怯え、細く長い平均台を歩いているような心地で生きていた。修士課程のうちに学会発表や論文投稿をこなし、日本学術振興会の特別研究員になり・・・・・といった「こうしなければならない」というレールをいかに踏み外さずに進めるかという具合にである。しかし、一度盛大に平均台から落下し、泥だらけになって、良くも悪くも開き直って好きなことをしようと思えるようになった。
・経験を積んでしまえば、共同討議を経るまでもなく自分だけで予測がつくことは増える。当然、新たな気づきや仮説改訂の機会は減る。できるだけ新奇性の高い案件を求め、自らもそうしたビジネス開発に関わりはじめたものの、いちど得たスキルセットや相場観をリセットできるわけではないので、知的刺激はどうしても減ってくる。途端に気になってくるのは、そもそもビジネスの個別案件における究極の課題が、特定のモノがどうすれば、誰に売れるのか、その行動にどう介入可能なのかという、ごく限定的なものだということだ。そして、課題に共同で挑む快楽はあっても、課題そのものにはほとんど関心をもてないのである。要するに、情熱を維持することが難しくなった。
ここに至ってあらためて目が向いたのは、チームのボスや先輩たちは、はるか以前から同様の境地にあるはずで、にもかかわらず新人を圧倒する熱量と独自性をもって個別案件に臨んでいたという事実である。なぜそんなことが可能だったのか。よくよく観察し、訊ねてみると答えはすぐにわかった。そうした人たちは、目の前の課題とは別に、自身で設定したより大きなテーマを保持しており、しかもそれは複数あったのだ。
個別案件が数週から数カ月間隔で取り組む短期的なリサーチ・プログラムだとすれば、そこでのデータや示唆が部分として貢献しうるような年単位の中期的なプログラムが複数あり、さらに射程が広く、具体的なステップがまだ見えていないような長期的なプログラムが構想されていた。そうした大きな研究構想を念頭に、そこから個別案件を捉えることで、それらを独自の観点から「面白がれる」角度や糸口を数多くもち合わせていたのだった。
大きなテーマとは、もはや目先のビジネスとは直接結びつかないもので、「インターネットは人類をどう変えたか」とか「情報とは何か」といったレイヤーのものだ。それらは個別の学問分野、ビジネス領域で即座に扱えるような問いではない。しかし、そこから派生する問いを積み上げていけば、いずれは輪郭をなすような論題である。こうした大テーマから実務に落とし込める複数の中テーマを設定し、異なる個別案件に自分なりの統一的なビジョンをもつことこそ、特定のビジネス領域の専門家に留まらない「研究者」型のビジネスパーソンという在り方を実現させていたのだった。言い換えれば、優秀なビジネスパーソンであることが「在野研究者」であることと一致していたのである。






