アツシ "独裁者の料理人" 2026年2月23日

アツシ
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@atsushi
2026年2月23日
独裁者の料理人
独裁者の料理人
ヴィトルト・シャブウォフスキ,
芝田文乃
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イディ・アミンの料理人オトンデ・オデラ ウガンダ ウガンダが独立を宣言し白人たちが去った時、私は失業していた 誰かがウガンダ首相ミルトン・オボデの官邸がコックを募集していると教えてくれた そこで首相官邸事務所に出かけた 独立当初はそんな感じで、首相や大臣に用事があれば、ただ訪ねて用件を話せば良かった 試験の前半は面接、後半は実技 数日経って、私は返事を聞きに行った 「明日から仕事だ」と言われた 首相官邸には私と同じ出身地域の者が多かった 我々は賃金労働者のように思われていたのだと思う 誰が統治しているか、どんな政党があるか、お前は関心がない 毒をもったり共謀したりはするまい お前はただ稼ぎにたいだけだからな、というわけだ ある日、行政長官に首相の執務室へ呼ばれて紹介された 「こちらが料理人のオトンデです」 オボテ首相は新聞を読んでいた。一瞬、目を挙げて私を見た 「グーーーッド」と言い、それから新聞に戻った 謁見はそれでおしまいだった 首相は厨房に何かを注文するための特別な呼び鈴を持っていた それを鳴らして、私以外の誰かが来ると「何の用だ?オトンデが来るべきだ」と言った だからたとえ料理中でも私が言った エプロンを綺麗なものに替えて するとオボテは新聞から目も上げずに「紅茶」と言った 最初の数ヶ月は無給たった 行政長官は私が気に入らなかったため、私の訴えをオボテに伝えてくれなかった 数ヶ月経って誰かがオボテにそのことを伝えると、彼は私にいまだと100ドルくらいの給与を支給した オボテに気に入られるほど敵が増えた だが、連中は私に何もできなかった ある日、大統領の弟と私が口論になった それで私は拳で殴りかかった 彼はオボテに直訴しに駆けていった 私は追いかけながら途中でさらに蹴っ飛ばしてやった 「兄にお前の料理人がこれを打ちやがった」 「弟よ、自分の家がないのか?ここが気に入らないなら、ドアは開いているぞ」 大統領は告げ、我々を追い出すなり扉を閉めた
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クーデターによりオボテ→イディ・アミン政権へ オボテがシンガポールに発ってから、ラジオはイディ・アミンに関する話ばかりなっていた それがクーデターになるとは思いもよらなかった アミンは宮殿のホールを私たちを集めてこう言った 「怖がらなくていい。君たちにとっては何も変わらない。今まで働いてきたように、今後も働いてくれ」 そして夕食を出すように命じた 前回のクーデターで学んだのは、将軍たちはクーデターを起こすためにいるということ 料理人は、料理をするために 解雇される理由などない なぜって、連中がクーデターを起こすときは腹ペコでやってくるだろうし、何かうまいものを食わせている限り、彼らに殺されずに済む可能性があるからだ ある晩、アミンは私が若い娘と話しているのを見た こちらにやってくると、私たちの肩に両手を置き、その娘に私のことをどう思うか、私のことをもっとよく知りたいかと尋ね始めた 大統領本人に私のことをもっと知りたいかと訊かれて、その娘に何が言えただろう やがてその娘は私の第二夫人になった ダンスパーティーがあって、私がどこかの娘と話し始めると、アミンの部下が現れて私を傍に連れてこう言った 「大統領はあなたにこの女性と楽しく過ごしてほしいと願っている」 そして現金を渡された 一見それは命令ではなく、冗談のようだったが、アミンを拒むことはできなかった こうして私はさらに2人のウガンダ人女性と結婚した
アツシ
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アミンは自分の権力を脅かしかねない者全員を恐れていた とりわけ教育水準の高い裕福な者たち、あるいは前政府と繋がりのあった者たちを それで警察と軍に絶対的な権限が与えられた 彼らは法の威厳で人を殺すことができた 公安局は無制限かつ闇雲に人々を殺害した ウガンダの首都中心部には秘密警察の地下牢があった 人々は通勤時にしばしば、拷問される人の声を聞いた あるいは銃声を ある日、13歳のアミンの息子が私のデザートを食べた後にひどい腹痛を起こした アミンは毒を盛られたと思い、宮殿中を走り回って「息子に何かあったら、お前ら全員殺してやる」とさけんだ 私は彼の息子を連れて裏口から出ると車で病院に向かった 大統領一家のかかりつけ医の診察中、私は宮殿に電話した 誰もが私が毒を盛ったと信じていたので、行政長官は私の声を聞くとすぐに大統領に代わった 後で知ったが、アミンは片手で受話器を持ち、もう片方の手で料理人のひとりの頭にピストルを突きつけていたらしい その間、医者は息子の腹を押していたが、とうとう子供は大きなオナラをした 「だちぶ気分が良くなった」と息子は言った 医者はただの食べ過ぎだと報告した アミンはその後の数週間、これを天晴れな冗談と見做した 私を見かけるたびに笑い出し、嬉しそうに肩を叩いて「オナラ!オナラ!」と叫んだ 私は別におかしくはなかった
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▼サダム・フセインの料理人 クルド 人との戦争は主に山地で行われていた。私は小銃を持たされてそこへ送られた。いい気分じゃなかったよ。私は20代でクルド人に対して何の文句もなかった。だから彼らとの戦争で死にたくなんかなかった。 それで自分はバグダードで料理をしていたから、射撃よりも調理の方がずっとうまくできると上官に話した。兵士は何千人もいるが、腕のいい料理人は少ない。指揮官の一人が食事がまずいとこぼしていることがわかった。 味方の兵士たちがクルド人と戦っている間、 私は毎日車で片道2時間かけてアルビールに出かけた。非常に危険だった。 いつ何時クルド人に撃たれるかなんかわからなかった。 テントの前に座っていると、弾がしょっちゅう頭の上を飛んでいった。 怖かったかって?いや、人は自分がいつ死んでもおかしくないことに慣れてしまう。 死ぬことよりも、次の昼飯用の鳥か魚をどこで手に入れるかに意識を向けるんだ。 サダムの家で見たものについては、一切口外しないという誓約書に署名しなくてはならなかった この誓約を破れば、絞首刑に処せられると書いてあった。 そういえば思い当たる節があった。半年前、上司から履歴書を書くように言われて、そこにこれまで一緒に働いたことのある人全員の名前と家族全員の名前を書かされたことがあった。 それに、これまで一度も有罪判決を受けたことがないという証明書を警察から持ってこなければならなかった。 私は当時、すでにサダムの料理人になるべく仕組まれていた。何もかも、何ヶ月も前から入念に準備されていたのに、私だけが知らなかった。 サダムの不意打ちが好きだった。そのおかげで優位に立っていた。 サダムのための仕事の大半は、機嫌のいい日を指してその日に何か好物を作ることと、 そうでない日は近づかないことだった。サダムに酷い仕打ちをされるんじゃないかという不安はなかった。 だが、機嫌の悪い時に何か口に合わないものがあると、肉か魚の代金を管理部の窓口に返すと言いかねなかった。 そういうことが実際に 何度もあった だが数日後、サダムの機嫌が良くなると私の給料から代金を差し引いたことを思い出して、 カミール・ハンナーにこう言った。
アツシ
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▼サダム・フセインの料理人 「今日は彼が素晴らしいレンズ豆のスープを作ってくれた。塩加減がちょうどいい。 この間差し引いた分を返してやる。それにもう50を足してあげなさい」 この間のスープと今日のスープは何も違わなかったかもしれないが、サダムはそういう人だった。 差し引く時もあれば返してくれる時もあった。月末にはいつも給料分を上回っていた。 それから年に2回、我々のためにイタリアで特別に誂えた新しい服を意識受け取った。サダムは我々を連れて外国に行くこともあったから、見栄えをよくする必要があった。 また、年に一度、サダムは我々に新車を買ってくれた。毎年違う型だ。その日、管理部が我々から古い車のキーを集めて、新しい車のキーをくれた。誰にも何も聞かれなかった。出勤して退勤するときには、ガレージに新車があった
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