いっちー "欲望会議 性とポリコレの哲学" 2026年2月24日

いっちー
いっちー
@icchii317
2026年2月24日
欲望会議 性とポリコレの哲学
欲望会議 性とポリコレの哲学
二村ヒトシ,
千葉雅也,
柴田英里
最初にこれを図書館で借りて、あとから単行本を借りたら、文庫には増補版があるだけであとは内容が同じだということを理解して、増補版から読んだ。ら、あんまり内容が入ってこなかったので、単行本も目次を見ながら興味ありそうなところだけさらっと目を通してみたけど、同じくあんまり入ってこなかった。多分内容が想像より観念的でふわふわしているように思えたのと、あとは興味の移ろいが早くて既に自分のドーパミンがあんまり出なくなってしまったのと、今生理前で集中して読むというよりは、パンチラインがないと文字が入ってこない精神状態だから。 ただ最後のほうに自分にとってのパンチラインあった。読書会が終わって恋愛の好奇心が早々に薄れた代わりに、最近の自分のテーマである身体性に惹かれて。 「(千葉)#MeTooは、交換の論理なんですよ。言い換えれば、グローバル資本主義の論理であり、ドゥルーズ+ガタリの言葉を使えば「脱コード化」だということになる。コード化された傷つきが蔓延することによって、古い意味での非対照的で個人的でプライベートな傷と言うものがなくなっていく。それが前回話した身体の喪失ということですね。 (柴田)、自分のガワがないんですよね。境界線となる皮膚みたいなものがないから、#MeToo でみんなつながってしまう。皮膚や境界線があったら、「理解はできるけど、私とは違うな」と、同感はできるけど共感にはならないんですよね。SNS的な共感のつながりって、もう自他の認知がぐちゃぐちゃで、「私は子供の時にレイプされました」と言う人がいただけで、それを聞いた人は子供の時にレイプされていないにもかかわらず、「この傷は私のものでもある」となってしまう。事故の境界がなくて、もうスライムみたいに溶け出している。私は、「もうちょっと自分に引きこもれよ」と思います。 (中略) (千葉)個体が別々であると言うことが僕は重要だと思うんですが、最近の風潮ではそうではなく、何でもかんでもケアの関係で結びつけていこうとする。その中で、エロティシズムが失われていく。なぜなら、エロティシズムと言うのは、一定の防御壁を持っているものの間で展開される、ある種の暴力のドラマだからです。」(p261-263) ケアが流行ってる理由がこうして指摘されてて震えた。自他境界がはっきりしていない、身体性がないからこそ、必要以上に共感してしまっている人が増えているのではないか。それには弱さや、SNSの世界のような恐ろしさもあるはずなのに、ケアという聞き心地のよい言葉でくるみとられてしまっているのではないか。もっと危機感を持った方が良いかもしれない。かく言う自分も、頭でっかちで身体性があまりなく、坂口恭平氏の言うところの「躁鬱人」に相対的には近い。それはやはり少し危険なことな気がする。一方で、人よりも自他境界ははっきりしているとも言われる。もしくは、人との距離が少し遠い。それは両立するのだろうか。いずれにしても、前にシェアハウスに住んでたときはだいぶ「ケア」という言葉に凝っていたけど、でもその時は結局ケアについてなんにもつかめなかった。なのでこういう方向からケアを見通してくれるのはとてもありがたい。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved