みっつー "透明なルール" 2026年2月26日

みっつー
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@32CH_books
2026年2月26日
透明なルール
透明なルール
佐藤いつ子
どちらかというと周りに合わせるということをしない学生生活を送ってきた。 多分それは学校の雰囲気的なものもあったんだろうし、私が知らないところで繰り広げられていた可能性はいくらでもある。 ただ、高校の二年生か、三年生のときに、部活の同級生から言われた「お前は八方美人だ」という言葉を今でも時々思い出す。 「なんてことをいうんだこいつは」と思ったし、実際、心当たりが1ミリもなかった。 そもそも八方美人であることが悪いこととも思わないし、誰にでもいい顔できるやつはそれなりにすごいのでは、とすら思う。 まぁだからといって「おれ八方美人!?ありがとう!ひゃっほーう!」となれるほど私は達観していない。達観ってこういうことなのかも分からん。 ちゃんとそれなりにダメージも負い、その日から今日までずっと、その言葉を時々思い出しながら過ごしている。 とはいえ、その同級生に言われたことよりも、なにを持って「八方美人」と言われたのかが、私は気になっている。 今思えば同級生は、誰とでもお喋りできる私の性格に嫉妬心なるものを抱いていたのかも知れないし、衝突を避けようとする(そもそもしない)性格に対して懐疑的だったのかも知れない。 それならわりかし説明ができると思うのだけれど、私は基本的に周りに興味がなかった。 というと冷たいニュアンスが出てしまうだろうが、個人に対して「どんな食べ物が好きか」とか、「どんなアイドルが好きか」みたいな話には興味があるけれど、クラスにうっすらと存在しているヒエラルキーであったり、誰と誰が付き合っているみたいな話にはまったく興味がそそられなかった。 特段、そういう空気に嫌悪感を抱いていたわけでもなく、本当にどうでもよかったし、なんならそういう話が自分には舞い込んでこなかった。 多分そういう認識すらされてない存在だった。 あれ?悲しい話だったっけ?これ。 たまに学生時代の友人と食事に行くと「そういえばこないだ〇〇とも飲んで〜」みたいな話になり、「え!おれも呼んでよ!」というと「いや、お前〇〇たちとかとも仲良いから色んなところ誘われるでしょ」と言われた。 誘われてない!!!!!! 誰とも会ってない!!!!!!! このザマである。 そうなのだ。 さっきまで「俗世に興味ないのかっこいいと思ってる系」に見えたかも知れないけれど、違うんや。シンプルに大人になっても遊んでくれる交友関係の築き方をしてこなかっただけなんや。 そういう意味ではあの日言われた「お前は八方美人だ」といわれた理由が少しわかる気がする。 誰とでもフラットに話せる代わりに、誰とも深い仲にならない美人だと言われているのだ。 (よかった〜美人だった〜) まぁ、それはそれで楽なのでいいんですけどね。 はい、解決〜。 ってなるわけでもないけれど、やはり私としてはこの「八方美人」と言われたことは、それなりにすごいことだなぁと思う。我ながら。 出来たかも知れない大切な親友を失う代わりに、それなりにのほほんと生きる術が備わっているというのは、なかなか悪くない。 気づけば「八方美人」は「言われて嫌だった言葉」から「指針」のひとつとして考えられるようになっていた。 八方美人は生き方だ(ドンッ!!)。 たくさん友達がいるのも絶対楽しいし、家族や恋人とは違った楽しさが確実に存在しているはずだ。 けれど、人と緩やかに繋がりつつ、自分の時間を持つことが出来ている今の環境も大好きだ。家にいるのも好きだし。 人に合わせることは、大事だ。 同時に人と違うことを感じたり、その違うという気持ちを相手に伝えるということも、大事なのだ。 この物語の主人公は、クラスで「ぼっち」になることを恐れている少女。 本当は良い結果を残してきた実力テストにも本気で臨みたいし、今在籍(?)している一軍女子たちとの心の通わなさのようなものを感じている。 ただ目立つことも、ひとりぼっちになることも怖くて、ずっとモヤモヤとした感情を抱えたままで学校生活を送っている。 英文が自然に読めない。みんなの前でいい発音で音読するのが、なんだか恥ずかしい。 佐藤いつ子『透明なルール』p.29 実家には父親のレコードがあり、それを聴いて、歌ったりしているうちに主人公の英語のイントネーションは卓越したものになっていた。 けれど、「人にどう思われるか」が常に気になる主人公は英語の音読の時は周りに合わせて下手なイントネーションを使ってやり過ごしている。わかるぅ〜(わからない、発音がいいなんて羨ましい)。 「ね、萩野くん。あえて目立つようなこと、しない方がいいかもよ。いじられちゃうよ」 佐藤いつ子『透明なルール』p.35 主人公にとって、目立つということは死活問題だ。 けれど、それは学生時代だれもが感じ、悩みの種のひとつだったであろうことは想像に難くない。 周りを気にしてなかった私でも少なからず「八方美人」と言われたことにはダメージを負った。というか「周りは違うんだ」と思った。 「心ひとつって何それ。三十五人いれば、三十五通りの心があるんだから」 佐藤いつ子『透明なルール』p.78 急にこころ界隈のアンミカさん登場である。 体育祭のスローガンを決めているホームルームの最中に現れた不登校気味の転校生の登場により、主人公の常識は大きく覆される。 どうして、わたしは、素直に愛(著者注釈:転校生)のことが気になる、と言えないのだろう。 どうして、わたしは、愛の「三十五通りの心」に衝撃を受けた、と言えないのだろう。 どうして、みんなはどう思ったのか、と聞けないのだろう。 どうして、わたしは、瞳子(著者注釈:一軍女子)の考えることを、いつも先回りして予想しては、気をもんでいるのだろう。 どうして、どうして、どうして…。 佐藤いつ子『透明なルール』p.90 周りの同級生の主張も意に介すことなく振る舞うことができる転校生に、主人公は徐々に惹かれていく。 そして転校生の過去が告げられたとき、主人公は自分の中で作り上げていた「透明なルール」に気づくこととなる。 ひとりぼっちではいけない、中学生らしい行いをする、といった「透明なルール」から解き放たれることで、主人公は次第に周りが自分を受け入れてくれること、自分が周りを受け入れられるようになっていく。 これを読んだ私自身、自分に「透明なルール」を課していないか考えるきっかけになった。 ゲーム実況という活動をする中で「こういう言い方をしたら不快に思う人がいるかも知れない」とか「このやり方は良くないに決まっている」といった意固地な部分が出てくることもある。 もちろん前提として人を不快にさせないに越したことはないけれど、自分の気持ちを伝えたい場面では、しっかりと誤解なく伝えられるように努めてみたり、動画を見てくれている人のことを信じて発言してみようとか、そんなことを考えていた。 中学生の物語だったけれど、そんなことは関係なく、心のもやもやはいくつになったって抱えるもんだよなぁ、と10代の青春物語に触れて、10代の頃の自分を思い出したりして、面白おかしく悩んだり、考えたりしてたとさ。 ちなみに私の八方美人はネットではまったく機能しない。 SNSなどの顔が見えない人と話す方がよっぽど緊張する。 「気兼ねなく話しかけてください」と常に受け身な現在進行形の私であった。
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