
yu
@meeea01
2025年3月11日

哲学の蠅
吉村萬壱
読み終わった
この本は、ある種の劇薬だ。
ページをめくるたびに、まるで身体の奥底へと浸透していく何かを感じる。
それは痛みと快楽の狭間で揺れる感覚——罪悪感と高揚感が、ひとつの波となって襲いかかる。
間違いなく自伝的なエッセイでありながら、新しい私小説のようでもある。
公序良俗を軽やかに超え、倫理の枠をするりとすり抜けていく逸脱の数々。
しかし、これはただの刺激ではない。
この著者は経験を言葉という薄布に織り込みながらも、その実、素肌のままで書いている。
初めて触れたとき、あまりの生々しさに目をそらしたくなった。
けれど、目を伏せることすら敗北のように思えた。
正宗白鳥の『一つの秘密』に、こんな一節がある。
「人には誰しも秘密がある。ただその秘密は人が言ったら驚くような秘密ではない。
むしろそのことを話したら他の人は『はぁそうなんですか』と一笑に付して終わりだ。
だけど、自分にとってそれは今も毒気をもって蘇ってくる。自分はそれを語るよりは死ぬ方を選ぶのだ。」
この本の著者は、その”死ぬ方を選ぶ”はずの秘密を、静かに、しかし隠すことなく語りはじめる。
その言葉の中には、痛みと赦し、恍惚と虚無、すべてがない交ぜになって息づいている。
果たして、自分にはここまで語ることができるだろうか。
いや、それ以前に、ここまで語る覚悟を持てるだろうか。
以下、この本のお気に入りの言葉の引用。
(好きな文章がありすぎるので長いです。)
p171「その自在さと自由さがピカソの魅力であり、絵というものは、ふざけた漫画みたいな線描画でも幼児の殴りかきみたいなものでも全然構わないのだという「許可」を、その生涯をかけて人類に与えた点がピカソの最大の功績だったと私は勝手に思っている。即ちピカソは我々に絵そのものを解放したのである。」
p229「私は今でも、小説の書き方がよくわからない。(中略)
従って無駄に文章を書き連ねながら、何か手掛かりや足掛かりになるものはないかと豚のように鼻を鳴らし、蠅のように飛び廻り、ウジムシのように這い回るしか無い。その時に最も邪魔になるのが、「意味」であり、「価値」である。
それらを避けて「無意味」や「無価値」の中に「裂け目」を探すのが、小説を書く前段階の儀式となる。」
p 241「今の環境にやっと適応して細々と生きている種は、環境が変わってもなんとか適応していくだろう。滅ぶのは、今の環境に過剰適応している種である。」
p246
のののののののののの
のののののののののの
のののののののののの
のののののののののの
「例えば「の」という字をたくさん書いていくと、やがてゲシュタルト崩壊が生じて「の」が「の」に見えなくなり、それを当たり前の「の」に戻すためには一定の「力」を必要とするということが起こる。
馴染みの「の」ですら、油断するとあっという間に意味不明の記号に転落してしまうのである。それと同様に、我々は意識しないままに「自明性」と「自明性の喪失」との間を揺れ動いていて、力づくで、「あたりまえ」を維持し続けているのではなかろうか。そして何らかの原因でエネルギーが減り、その「力」が保てなくなると人は精神を病み、自明性が喪失するという状態に陥るのであろう。」
p249「文学は狂気と最も親和性が高いジャンルの一つである。私はせめて文学の中でだけでも、思い存分狂ってみたい。自由であるはずの文学作品の中でまで、お行儀良くしている必要はない。ましてや「人の道」に沿った文学など、形容矛盾ではないのかとすら思えるほどである。」
p254「目覚ましをセットするのを止めてみると、目覚めが断然違った。今までは船が岸壁に激突するように目覚めていたものが、優しい波に運ばれて音もなく砂浜に流れ着くような目覚めに変わったのである。」
p263「この時私は、なぜ自分がこの世に一人の独立した個体として存在しているのかが分かった気がした。今この瞬間に私が見ている光の筋は、他の誰とも共有出来ない私にしか見えない世界であり、私の隣にいる人間は私と違う光の筋の世界を見るのである。即ちそれが私の存在理由であり、彼(彼女)の存在理由なのではなかろうか。そんな気がしたのである。私と彼(彼女)とは交換不能の存在であって、夫々に掛け替えのない認識主体として別々にこの世界を認識している。そういう個体が地球上に七十七億人いて、その他無数の生物が夫々の仕方でこの世界を認識している。その無数とも言える認識が、この世界そのものを成り立たせているのではないだろうか。」
p265「書く限りは嘘ではなく、「本当のこと」を書きたい。しかし「本当のこと」を書こうとすればするほど、言葉に裏切られることを書き手は覚悟せねばならない。
「愛」と書いた途端、それは自分の手から擦り抜け、無数の「愛」の屍が浮く汚れた海に飲み込まれてしまう運命から逃れることが出来ない。従って小説を書くとは、予め挫折が運命付けられた営みと言えるかもしれない。」
