
ni
@nininice
2026年3月2日

絵のない絵本
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
読み終わった
ぼくは指にキスして、そのキスを月に投げかけました。すると月は、まっすぐ、ぼくの部屋の中にさしこんできました。(p.8)
月が語る三十三夜の物語。
もしこの本を月夜の部屋でひとり読んでいたら、涙を堪えることなく本を濡らしていたかも。月が語るどの世界も美しい画として頭に思い浮かぶ。長い年月を人間の世界を眺めるだけで干渉せず、その光はいつもどこでも公平で、この人間の欲にまみれた世界にまだ平等といえるものが残っていたことを思い出させてくれた。少し救われる気持ちだ。
いかなりし人のなさけか思ひ出づる来しかた語れ秋のよの月 京極為兼
さそはるる月のしるべにへだてはてしよそのくもゐに心をぞやる 伏見院
物語の中で特に心惹かれたのは、
第五夜
「昨日のこと……わたしは、せわしなく動いているパリを見おろしていました。そして、わたしの目は、ルーブル宮殿のたくさんの部屋へと、はいりこんでいきました」(p.29)
何年も前に、ルーブル美術館を訪ねた。そこで、壁一面の窓から西陽が降り注ぎ、ミケランジェロの彫刻「瀕死の奴隷像」の身体をゆっくりとその柔らかな光が撫でてゆくのをしばらく目が離せずに眺めていた。この記憶はわたしの中で一等美しい記憶で、きっとこの月光もこっそりと窓にかかるカーテンの隙間から宮殿の部屋へと入り込むことができることは、容易に想像できる。
第六夜
「そういう丘の上に、ひとりの男の人が立っていました。歌人でした。歌人は、幅の広い銀の輪がついている角杯から蜜酒をのみほすと、ある人の名まえをそっと口にし、そして風に、その名をほかのものに、もらさないでおくれ、とたのみました」(p.38)
第十二夜
「けれど、廃墟はまだ立っていました。まるで変わらずに立っていました。それは、このあとまだ何百年でも、そうして立っているでしょう」(p.73)
第十八夜
「あなたは、あの円柱の上の、翼のあるライオンが見えますか?その黄金は、いまでもかがやいていますけれど、それでも、翼はしばられているし、ライオンは死んでいます。というのも、海の王が死んでいるからです」(p.107)
第十九夜
「月のほかには、だれもいませんでした。墓地の壁のそばの片すみに、この自殺した人は葬られました」(p.114)
第二十夜
「わたしは、その子のきれいな丸い肩や、黒い目や、つやつやしている黒い髪の毛にキスしました」(p.118)
第二十一夜
「やがて、その隊商は、砂漠のそばにある、塩の平地の一つにきて、止まりました」(p.121)
夢の裡なる隊商のその足竝もほのゆみれ。中原中也「春の夜」の一節や、砂漠の都市バブルクンドの物語を思う。砂漠の隊商に何度憧れたかわからない。
第二十四夜
「……ええ、そう、わたしは、とても広くを見まわせるのですよ!」(p.139)
第二十九夜
「わたしの光は、壁にあいた格子窓をとおって、ひろびろとした円天井の部屋にすべりこんでいきました。この部屋では、昔の王さまたちが、大きい石の棺の中で、うとうとと眠っているのです」(p.165)
光の粒子の、ただ一つの野望は、物体に届いて、大きかろうが小さかろうが、とにかく目に見える画像にすることなのだ。ヨシフ・ブロツキー「ヴェネツィア」のこの一部分がずっと記憶に残っている。光の粒子の野望。光が、宇宙から地上のある一点に落ちるのは、偶然ではなく野望だと考えると、面白い。この物語の月も同じように、格子窓を抜けて奥の部屋まですべりこむ。
時代も国も、王も白鳥も廃墟も道化も囚人も年老いたひとも若者も子どもも悲しむ人も喜ぶ人も夢みる人も木々も死者も、あらゆるこの地球上に暮らすものに、月はずっと光を注ぎ、その営みをただじっと見つめている。
読みながら、野尻抱影先生の言葉を思い出した。
否、何も知らずに産声を挙げた夜にも、あの雄麗な宝玉の図は屋根の上の空に描かれていた。そして、柩に釘の響く夜の空にもあのままの天図は燦爛と輝いているのである。そしてさらに墓の上には永く永く。「星は周る」

