百年の散歩(新潮文庫)

百年の散歩(新潮文庫)
百年の散歩(新潮文庫)
多和田葉子
新潮社
2020年1月1日
9件の記録
  • 杞憂
    杞憂
    @ku_akira
    2025年11月8日
  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2025年10月18日
    最近街を歩いているときは友達の素敵なMIXなんかを聴きながら、少し俯いて考え事をしていることが多いのだけど、何かのタイミングで視線を上げると、この本で書かれているように街には膨大ともいえるような”情報“が溢れていることに気がつく。 そのなかの印象的ないくつかのもの、店の看板やショウウィンドウのなかの商品から夢想に漂ったり、ある通りに差し掛かればそこで受けた電話のことを思い出して、「あの人」に想いを馳せる。好きだったお店の跡地をみて街の移り変りにセンチメンタルになったりもするし、通りの名前に最高だったパーティのことも思い出す。 数年前に世田谷のある街をパートナーと歩いていたときに、そんなふうに思い浮かんだことをいちいち口に出していたら、呆れ怒りされたことがあったのだけど、やはり散歩は読書と同じように孤独な行為なのかもしれない。はじめのうちは。 本を読んでいても街を歩いているときのように、そこに出て来る印象的なラインや気になる固有名詞から夢想や思索に浸ってしまうことがある。考え事をしながら歩いていたらいつのまにか目的地に着いていたように、センテンスの終わりまで目が滑っていってしまったりもして。そんな本や街を「読んだ」ときに考えていたことは、言語化しようとすると掴みどころがなかったりして色々と零れ落ちていってしまうけれど、この本のようにそれを物語として書き起こせたとしたら、それは孤独な行為ではなくなる、ような気がする。あるいは、その孤独がまた誰かの孤独とも繋がっていく。これはあの小説みたいな話。 そういえば、はじめて大好きなラッパーの音楽に寄せた文章は、その音源をリピートしつつゆかりの街を歩きながら考えたのだった。「街にあるスパイス」に気を取られながらも歩く、じっくりとその音楽を読む。そんなふうにして書いた文章は、そのときの考えをうまく書き起こせていたかは分からないけれど、今でもとても気に入っているし、イントロが流れればあのときの街の通りも思い出す。というようなことを、頁をめくりながら考えはじめたら、完全に目が滑り出したので、掴みどころのないまま一旦書き起こしておきます
    百年の散歩(新潮文庫)
  • abu
    abu
    @abu_abu
    2025年10月9日
  • tosakanori
    tosakanori
    @tosakanori
    2025年6月15日
  • muu
    muu
    @mu_book_um
    2025年5月8日
  • Blue moon
    Blue moon
    @mimosamimi
    2025年5月6日
  • meme
    meme
    @miz_umi0
    2025年5月5日
  • めい
    めい
    @may_05
    2025年3月9日
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