人間と文学: 対談

人間と文学: 対談
人間と文学: 対談
三島由紀夫
中村光夫
講談社
2003年7月1日
1件の記録
  • 小さな感想から、話させてください。 わたしは、芸術が、人間一人ひとりの、人生や生命を凌駕することを、良いことだと考えています。 わたしは、生涯で一枚でも多く、絵画に感動したいですし、一体でも多くの、彫刻を眺めたいですし、一回でも多くの、クラシック音楽に触れたい、そう考えています。 また、生涯で一つでも多くの、言語芸術作品を、創作したいと考えていますし、同時に、言葉はわたしに多くのものを与え、そしてまた多くのものを奪い去るとも、思っています。 肝心なことは、芸術に向かって、1mmでもいいから、近づくことだと思います。自分がいかにちっぽけなものであるかを、自覚させられても、その道のり自体は、真実、愉快であるものと、わたしは思っています。 つまり、以上は単に、わたしが能天気な、凡人だと告白しているに過ぎないのですが。 つまり、わたしには、ごくごく一部の、限られた、才能ある芸術家のことは、分からない、ということが、言いたいのです。ごくごく限られた芸術家に、なにが許されているのか、そして、なにが苦悩として迫っているのか、それはわたしには、「分からない」、ということが、言いたいのです。 本書は、評論家の中村光夫氏と、作家の三島由紀夫氏との、1967年に交わされた、全4回の対談の記録で、初版は1968年です。 私が最も、手を止めたのは、p131の、三島氏が、僕は本質よりもイリュージョンの方のために死ぬほうがよほど楽しい、皆こういう病気にかかっている、という発言の直後に、中村氏が 「それは病気じゃない、ノーマルなことです」 と発言した場面でした。 人間はオリジナルとして生まれ、コピーとして死んでいく。これはほとんどの私たちに課せられたサムシングであります。わたしの本音を言えば、もし仮にコピーしたい対象がこの世にあるだけで、ありがたいじゃないか、もうけものじゃないか、と思います。 そういう意味で、中村氏の発言は、至極真っ当なものだと、思います。ですが、この真っ当さを、氏が何から獲得したかを、思い馳せますと、これもまた、容易には想像がつきません。そしてもっと言うと、氏が獲得したこの知恵を、なぜ、三島氏にも伝えようと、氏が判断したのか、と考えますと、これもまた、凡人には、理解の苦しむところであります。 私自身がもっと、社会や組織や、その構成員に、目を凝らさなければならないな、と思えた、一冊でした。
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