仏伝身読
3件の記録
- 糸太@itota-tboyt52026年4月12日読み終わった人生で困難なことに出会ったとき、たとえばブッタのエピソードが頭に浮かんだとする。何となく記憶にあったその話を、自分の置かれている状況に照らしてみると、苦しみが違って見えることもあるに違いない。 宗教的な振る舞いとは、まさにこれだろう。しかし仏教に関しては、世界三大宗教であるにもかかわらず、このプロセスを嫌う傾向があるように思える。「仏教は宗教ではなく哲学である」といった文脈に、この空気はとくに色濃く漂っている。 藤田一照さんの禅の話は、とてもロジカルで分かりやすい。東西の哲学の知見や身体運用の理屈などもも取り入れながら、ひとつずつ積み上げるように解説してくれる。アメリカの道場で異文化の方々に坐禅を教えていた経験も大きいのだろう。私のような仏教から遠い人間にも、深遠な悟りの世界を垣間見させてくれる。 だがそれは、あくまで言葉をつかって描き出した、みんながシェアできるイメージでしかないのかもしれない。個々人が抱える苦しみを前にして、仏教には理屈で諭すこと以上に、できることが充分にあるはず。宗教として寄り添ってほしいと考えている人が世界中にいることからも、それは明らかだ。 本書は、あくまで宗教者である藤田さんによる、仏教の新しい手引書のように思えた。読み終わってみて、仏伝が何かあったとき戻ってきたい場所になった。実際に何度も戻ってきたときに、それぞれの「身読」が進んでいくのだろう。それだけのヒントが、この本にはたくさん詰まっている。 藤田さんは〈修行〉は終わることがない。この試みがどう続いていくのか、楽しみがまた増えた気分。

- ハル@harubooks2026年2月20日読み終わった身読 という概念を知るためにも 読むべき本だと思った。 消費的ない読書ばかりしてしまう自分への戒め。 10代の頃に読んだ小説は 今でもありありとその登場人物たちの瑞々しさを思い出せる。 なのに 1ヶ月前の小説は断片しか思い出せない。 10代→血肉となってる身読の小説 今→消費的、情報的扱いになってる小説 感受性の賞味期限。 つらい。
