みちのく民話まんだらーー民話のなかの男たち
3件の記録
chika@koitoya2026年8月20日読み終わったついになる本『民話のなかの女たち』が面白くて、今回読んでみた。 「貧しい農村から寺にやられる小僧は、農家の次三男の口減らしであったといいます。女であれば子守り、下女奉公、遊女。男は体力を買われて作男に使われるか、年奉公。体力に恵まれない、しかし、賢い子は寺にやられることが多かったそうです。 民話のなかの小僧たちはみんな知恵者に描かれ、その頓知で和尚をやりこめるのもうなずけます。そして、生への執念を「食い物争奪」の一点にむけて繰り返し語られるのは、口減らしという現実に深くかかわっています。」(p62) 長男ではない男児が小僧になるというのは知っていたのだが、どこか食には困らない家庭の子というイメージがあった。和尚と小僧が食べ物を争う話もこれまで数多く読んできたが、そういう背景があることは全く考えていなかった。今まで小僧が食い意地を張っているとただ笑っていたが、実はそこには生きるための切実さがあったのだと思うと、同じ話が違って見えてくる。 「『ひとり暮らしの男』ーこれはたいてい農家の次三男を意味し、継ぐべき農地を持たず、婿にももらわれず、寺の小僧にいくほどの才覚もなく、嫁の来手もなく、ひとり実家をはなれて山地や沢地など、荒地につくばって開し、わがカマドを立てんと苦闘している男だと言うことができます。こういう男を好んで主人公にするのが「民話」のやさしさ、奥深さではないかと思います。」(p90) これも初めて知った。現代では「ひとり暮らしの男」という言葉はごく普通のものだけれど、当時の農村では、家や土地を継げないことが、そのまま共同体の中での居場所のなさにつながっていたのだろう。 「持ち山があって、人を雇って木を伐り出す旦那衆を除けば、多くは入会で山に入って、一年間の薪を確保するのが習わしでした。その仕事は村落の共同作業でおとなわれたものでした。作業に参加すべき体力を失った「子持たじ」の老夫婦たちは、村落の共同体から次第に離れ、ぽつりと山近くで暮らすことを余儀なくされ、わずかな「柴」で命の火をともしつづけることになります。」(p277) これも知らない。なんと肩身が狭いんだろうと思う。共同体に参加できるだけの体力を失うことが、そのまま共同体から少しずつ外れていくことにつながっていたのだ。 『民話のなかの女たち』では一般的な女性像が多かったように思うが、『民話のなかの男たち』では、寺の小僧や土地を持たない猟師、芸術家など、はずれものが多くなっている。この違いも面白かった。 長男ではない男、土地を持たない男、共同作業に参加できなくなった老人。そうした共同体の中心から少し外れた人々の人生が、民話の中では繰り返し語られている。 笑っていた話の背後にも、口減らしという現実がある。そのような社会の弱いところの記憶が民話にはかなり埋まっているのだな。 民話はそうした人々の切実な生を、笑いや知恵の物語として後世に残しているのかもしれない。

白玉庵@shfttg2026年5月17日気になる以前にEテレの特集(たぶん)で見て、すごい人だなぁと静かに感動してたことを、スズキナオさんのTwitterの投稿で思い出した。wikiみたら、ババールの翻訳者なんだ。すでにお世話になってた。



