日本史 5: キリシタン伝来のころ

日本史 5: キリシタン伝来のころ
日本史 5: キリシタン伝来のころ
ルイス・フロイス
柳谷武夫
平凡社
1978年6月1日
2件の記録
  • だむ
    だむ
    @p0se1-d0n
    2026年3月2日
    「日本史」追記(ネタばれ含)。 この物語(東洋文庫版)のラストは新たに日本に派遣されることになったパアデレ達の航海の場面である。台風の話は何度も出てきていい加減予想つくでしょ!と思うのだけれどやはり今回も遭遇したのである。強い風に海は荒れ狂いイエズス会士と乗組員たちの不安は高まるばかりである。ついに帆がちぎれ舵が折れてしまう。もはやこれまでといよいよ覚悟を決めなければならない。そして自分たちのできる最善のこと、祈りと告白(懺悔)が始まる。ところが乗組員の中には勝手の分からないものもいる。 「はやく幾つか罪をお言いなさい。」 「ぱあでれ様、何も思いつきません。」 これではこちらが役割を全うできないと当惑したぱあでれは次のように問うた。 「あなた方はときどき嘘をついたことがありますか。」答えて曰く 「ぱあでれ様、私どもは決してほんとうのことを言ったことがありません。」               ・                         ・                          ・            結構笑えません?これが生きるか死ぬかの際の会話であり「日本史」のクライマックスの一場面ですから。
    日本史 5: キリシタン伝来のころ
  • だむ
    だむ
    @p0se1-d0n
    2026年2月26日
    ようやく「日本史」全5巻読了(かかったな〜)。きょうは織田信長にフォーカス。 フロイスの記述を追っていくと日本の風習を尊重してか身分のある人、有力者に対しては名前(通称や役職名を含む)に敬称を付している。公方「様」、和田「殿」、ダリオ高山「殿」という風に。礼儀として上下関係への配慮を踏まえていると言ってよいだろう。 ところがなぜか信長に対しては例外だったようで「尾張殿」とか「織田殿」といった表現は全5巻のどこにも見られない(はず)。「信長は」である。敬称の付加がフロイスの相手に対する好感度ないし重要性を表しているのだとすると上述の3人に対して様や殿をつけるのは当然としてもキリシタンに対して融和的な態度をとり事実フロイスらも庇護を求め援助をあてにした当の信長に対して敬称がないのはどうしたことだろう。逆に「デウスの敵」として名指されている西郷純尭に対してさえ(ときに抜けてはいるが)「諫早殿」と記載しているのにである。この辺の事情について、以下は文学的想像力を全開にしての妄想的な記述だけれども、やはりフロイスにとって信長は他の日本人とはまるで異なる傑出した存在として意識されていたのではないか。信長について一章を割き詳細に描写しているが、信長は「すぐれた理解力と明晰な判断力とを備え」「勇敢で驚嘆すべき司令官」であり人々は「絶対君主(ここアンダーライン!)に対するように彼に服従していた。」。そしておそらくフロイスをして戦慄せしめたのは仏教寺社勢力に対する容赦のない弾圧である。神仏より自分を上位に置く信長にとってみれば自分に歯向かい迷信に凝り固まった一団を成敗することなどものの数ではなかったのだろう。そしてそのことはある意味で「合理的」な選択の行使としてフロイスの目には映ったのではないか。フロイスにとって信長は二重の意味で「怪物」だった。一つにはすべてを焼き尽くさずにはいられない炎として。もう一つにはこの辺境の地で「真理」の体現者を任ずる自分たちに対して自らの常識を覆し予想もつかない遥かに「洗練された」世界を現出させる畏怖すべき司祭として(無論「日本史」のどこにもそんな記述はないが)。そうした存在に対してどこか腫れ物に触るように、適当な距離感を設定できなかったとしても不思議ではない。世界史的な流れでいえばヨーロッパの16世紀は宗教改革から主権国家成立への萌芽といった大きな変革の時代であり宗教の権威に対して世俗の勢力の勃興があらわになってくる時代である。信長に敬称を付さなかったからといって見たくない現実から目を背けることができるわけではない。信長を「絶対君主」になぞらえたフロイスはそのことの真の意味を理解し得ただろうか。(2026.2.26)
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved