フェイクニュースを哲学する

16件の記録
- さおり@prn9909082025年8月13日読み終わった「わたしたちはある程度操作されている情報を目にしているのかもしれない」と頭の片隅に置いておくことが大事なんだろうな、と思った.それは発信する人の考え方や受け取る側のバイアス、知らず知らずのうちにかかっているフィルターバブルやエコーチェーンバーであったりすると思う.昔読んだ森博嗣先生の何かの新書のなかで「『情報』とは既に死んでいるものである」という言葉を強く意識した.マスメディアとネットとの違いとそこにかかってくるバイアスの違い、そして陰謀論を信じてはいけないのか?という論点が特に面白く、これからは「吟味する力」を磨いていかないといけないんだろうな、と感じた.
- かちもち@gdgd90xjq2025年7月30日読んでる読み終わった知的に謙虚であるためには、自分の知的な限界を広く見積りすぎる知的傲慢と、狭く見積りすぎる知的隷属の中間を縫いながら、自分の知的限界を正しく見極め、その限界に対して適切な仕方で対処する必要がある。113頁
- 尾崎@ozaki2025年3月15日読み終わった@ 自宅〈日常生活では、趣味の話であれ、学校の話であれ、学問の話であれ、同じ話題に興味をもち、ある程度同じ知識を共有しているメンバーで会話のグループが形成されることが多い。それに対して、ネット空間は従来であれば交わることのないグループに属する人たちが一堂に会する場を提供した。このような状態は「文脈の崩壊(Context collapse)」と呼ばれ、文脈を共有しない者同士のコミュニケーションにさまざまな認識的な問題が生じることが指摘されている(Frost-Arnold 2023)。そのひとつが、前提知識が共有されていないことである〉 p.63 岩波新書
- 尾崎@ozaki2025年3月14日読んでる〈われわれが物事を考える際に依拠する基本的な情報が間違っていると、そこから導かれる事柄も連鎖的に間違っていくことになり、結果としてさまざまな領域に間違った信念が増幅されていくことになる。つまり、誤謬という病は伝染し、周囲に悪影響を及ぼしながら増殖していく。さらにこの誤った考えが、瞬時に、かつ、広範な情報共有を可能にするインターネットという媒体に載せられることによって、社会的全体も瞬く間に誤謬に感染し、実害も拡大していく。これはもっともわかりやすいフェイクニュースの問題点である〉 p.10 岩波新書