成熟と喪失 ―“母”の崩壊― (講談社文芸文庫)

成熟と喪失 ―“母”の崩壊― (講談社文芸文庫)
成熟と喪失 ―“母”の崩壊― (講談社文芸文庫)
江藤淳
講談社
1993年10月4日
3件の記録
  • しょうD
    しょうD
    @syou_D
    2025年8月23日
  • K_Nishida
    K_Nishida
    @k_nishida
    2025年7月22日
  • CandidE
    CandidE
    @araxia
    2025年7月20日
    最近、小島信夫の『抱擁家族』をちょうど読み終えたところだったので、タイミングとしてラッキーだった。 ーーー 「『成熟』するとはなにかを獲得することではなくて、喪失を確認すること」 「『成熟』するとは、喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの『悪』をひきうけること」 ーーー ここで言う「悪」とは、「母を捨てること」であり、ざっくり言えば「母」を「甘え」の象徴だと私は解釈した。要は、日本は「喪失」を経ての「成熟」を未だ達成できていないよね?という話。 私自身は、本書を読みながら「空気を読む」という現代日本に蔓延る甘えについてあれこれ思う。他者が自分を無条件で受け入れてくれるはず、という幻想。すなわち「私は空気をちゃんと読んでいますよね? でしたら、それに対する敬意を示し忖度してください」という暗黙の取引は、まあ「未熟」の温床だよね。令和の我々は今日においても、戦後の「喪失」を引き受けきれてはいない、と33歳の江藤淳に叱咤される。
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