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CandidE
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@araxia
読書記録を主として。読めるときに読む。読めるうちに読む。
  • 2025年7月12日
    赤と黒(下)
    赤と黒(下)
    めちゃくちゃ面白かった!というか、文句なしの傑作。オールタイムベスト。 最後の最後まで精密な心理描写の洪水に流されっぱなしで、喜怒哀楽のジェットコースターは一度も停車することなく、最後の最後に辿り着くのは、ドストエフスキー文学への完璧な前夜祭であった。すんごい。心理リアリズムでもあり、社会派小説でもあり、メタ文学でもあり、歪な恋愛譚でもあるという、その多層的かつ摩擦熱たっぷりの欲張り仕様に圧倒された。伊達じゃなかった。 訳者あとがきに、 「非力を承知で『赤と黒』の翻訳を志したもう一つの理由は、この本は現代の日本で『再発見』されるべきだという直感的な思いである」 とあったけれども、僭越ながら激しく同意いたします。『再発見』されるべきです。 正直スタンダールの小説って、仄暗くて政治臭い長編だと勘違いして避けていたのだけれど、全然違った。めっちゃ笑えるし、めっちゃ振り回される。しかも長時間、超高速で。これは読んだ方がいいと思う、ぜひ。 今、猛烈にドストエフスキーを読み返したくなった。そして、自分のなかでついに『失われた時を求めて』を読むフラグが立った。でもそれらはもうちょっと先のこと。ああ、『悪霊』が読みてー。『永遠の夫』が読みてー。『カラマーゾフの兄弟』が読みてー。『地下室の手記』が読みてー、僕は。
  • 2025年7月10日
    新世紀のアーユルヴェーダ
    スタンダールの赤と黒、上巻と下巻の間の小休止として。 アーユルヴェーダが、単に、古の療法、じゃなくて、高級化・科学化・国際化という資本主義のテンプレの波に乗って、ビジネスとして結構アツいんだよね。という話。 感想としては、腸内環境とゲノム解析とクレジットカードの限度額で、快適な幻想という癒しが、個別化を副産物として付加価値を生む。科学風スピリチュアル×自己啓発が経済を支える。心は病むけれども、病院では扱ってくれないことの受け皿が高くついている。読書も科学風スピリチュアル×自己啓発に近づきつつあるし、AIとの対話というテキストの物語は、その真髄。アーメン。
  • 2025年7月9日
    赤と黒(上)
    赤と黒(上)
    訳は悩んだけれども、2025年だし光文社で。異論は認める。 それにしても、なんなの、この思考と感情の揺れを、速度を伴って丁寧にいじり倒す技術。びっくりした、すんごい。情動のフレームレートが圧倒的に高く、主人公と取り巻きの虚栄、欲望、自意識、愛、野心が秒単位でめまぐるしく変化する。そのたびに気持ちが激しくシェイクされる。感情のメリーゴーランド、喜怒哀楽のジェットコースター。濃厚だし、熱量が半端ない。やばいやばい、通常の読むスピードでは危うく読書が処理落ちしかかる。ドストエフスキーのあのターン制は、実は超親切設計であったと知る。 それに、ちょくちょく顔を出すスタンダールの毒気たっぷりのツッコミがめちゃくちゃ冴えていて、何度も笑う。面白い。 さらに、本書を読んだことで、ようやく自分の中でナポレオン主義がすっと腑に落ちた。しっくりきた。これが収穫で、とてもラッキーであった。万が一『罪と罰』を読み返すなんてなことがあったらば、その味わいはマシマシかも知らない。 兎角、いろいろ面倒くさいし煩わしいのだが、それも魅力。やめられない止まらないで下巻へダイブイン。
  • 2025年7月7日
    フランス革命
    フランス革命
    フランス革命をおさらいする主旨で本書を開いたのだが、何というか違った。ちょっと変な本でおもしろい。岩波ジュニア新書、というか、本書は攻めてる、ヤってる。革命の光と影、魂の叫びと情熱の迸りが、私の内を怒涛のように駆け抜けていきました。とにかく存在がユニークで、いいね👍🏼 したくなる本。ジュニアじゃないよねこれ、大人向け!
  • 2025年7月6日
    わがスタンダール
    作家のキャリアの長さを惟う。その歴史の激動と人生の照応、自らの論旨の変遷、言及する人物が生前の芥川龍之介から村上春樹にまで至ること。それら記憶や記録を継承すること、リレーすることの不思議が通読時にあった。 また、スタンダールへの情熱とは別に、例えば、1941年時に、「何故二十世紀は大小説を生み得ないか? 」だとか、1986年時に、1973年時点を振り返り、「日本の若者は無気力無関心となり、そもそも本というものを読まなくなった」といった嘆きの文言が散見されることで、どうしても19世紀が小説の黄金期やピークであることを、本作よりも時代の下った2025年に意識してしまう黄昏にも見舞われた。文学の黄昏の黄昏の黄昏。 これより少し寄り道をした後に、スタンダールとバルザックをいくつか読もうという気になる。夏目漱石も少し。でも本当は未知を包摂した最先端現代文学を読みたいんじゃー。そんな読書。
  • 2025年7月5日
    ジェイムズ
    ジェイムズ
    ああ、なるほどね、そりゃ映画化の話も出ますよね。という読後感。最後の場面はスクリーン映え間違いない。 ただ正直、世間の高い評価と私の体感には少しく温度差が残った。 ーーー 「パパ、どうしてこんな勉強をしないといけないの?」 「白人は私たちが特定の言葉遣いをすることを期待している。その期待に背かないことが大事なんだ」と私は言った。「私たちが犠牲になりさえすれば、あの人たちは劣等感を覚えずにすむ。というか〝あの人たちは優越感に浸れる〟ということさ。さあ、手始めに基本的なことを復習しようか」 ーーー ジムの語りが原作世界の裏舞台を暴き、大胆に換骨奪胎していく感じは実に面白く、またビターで味わい深いものの、「そのポリティカルな仕掛けに、ハック・フィンの世界線を借りる必然はあった?」という疑問が終始チラついた。 それは原作における行き当たりばったりの粗さと、本作の実験的な試みによる粗さとが異質で噛み合わず、なんだか同期していない印象を受けたことが大きく、その影響もあって、私は最後まで小説世界に馴染めないままでいた。 以上から、『トム・ソーヤの冒険』から『ハックルベリー・フィンの冒険』へと丁寧に準備を重ねてきたつもりの私の超個人的感想としては、この『ジェイムズ』という作品は、冒頭から原作とは全く別の世界線のジム譚として割り切って読むほうがしっくりくるように思われる。 さらに物語世界を補完する上では、訳者あとがきにあった柴田元幸編著『「ハックルベリー・フィンの冒けん」をめぐる冒けん』(研究社)を事前に読んでおけば、なお良かった、とも思った。 とはいえ、映画『ジェイムズ2』は、ぜひ観たい(笑)
  • 2025年7月4日
    ハックルベリー・フィンの冒険(下)
    マジでびっくりした! 刺さった。オールタイムベストであった。 上下巻を読み進めながら、私は終始「嘘とは何か?」に囚われた。そして中途で暫し、涙が出た(笑) 物語そのものというより、背後にある構想、あるいは「嘘」というものについて馳せ、なぜか涙が出たのであった。これはすんごい繊細かつ雑駁な感情で、言語化するのは難しいけれども泣いた。嘘について考えて泣いちまった。 また、下巻の半ばに差しかかったあたりのイベントで、「えええええ、あああああ、なるほどね、マークさん、あんた、そんな感じの嘘つくの? それ、大嘘じゃん。マジで? あんた筋金入りの嘘つきじゃん。大物かよ、天才かよ」という衝撃でぶっ飛んで、大笑いした。 と同時に、世界はすべてがフィクションで、自分の記憶も、自分自身の存在もすべてが「嘘」によって構成されている、という感覚が不意に私を捉えた。それは、なぜか清々しい。そして、その認識の上書き、あるいは呪いは、これからもずっと消えない解けないだろうと思われた。 兎角、私にとってこの物語は、「小説における嘘」「人生における嘘」について特別な感懐をもたらした。深く刺さっちまった。 “自分が正しいことしようと、間違ったことしようと、そんなの関係ねえんだ。人間の良心ってやつは、ほんと、わからずやで、どっちに転んでも責めたててくる。(中略)良心ってやつは人間の心ん中でほかの何より幅をきかしてるくせに、どのみち何の役にも立ちゃしねえ” そんな感じで『ジェイムズ』へ向かうのであった。
  • 2025年7月3日
    ハックルベリー・フィンの冒険(上)
    ハックルベリー・フィンの冒険(上)
    オールタイムベスト。『ジェイムズ』への準備、旅路として『トム・ソーヤの冒険』からの連続読書。 上巻を読み終えた時点では、終盤において新たな展開が始まることで下巻への期待は高まったものの、正直、『トム・ソーヤの冒険』から連綿と続く、場当たり的な嘘の綱渡りと、それに伴うイベントの膨張と反復に辟易し、内容も前作と比してヘビーで食傷気味、もう結構無理であった。別の出版社・訳者に味変すればよかった、と激しく後悔していた。しかし、物語全てを読み終えた今となっては、それは必要な通過儀礼であったと私は感ず。 本作は何度も繰り返し読む価値があるのかも知らない。兎角、『トム・ソーヤの冒険』を経て、本作へ進むことを強くおすすめしたいと思います! ぜひ。
  • 2025年7月2日
    トム・ソーヤーの冒険
    トム・ソーヤーの冒険
    ジェイムズ、への、ハックルベリー・フィンの冒険、への準備というか旅の道中。なるほどー、という感想。新潮版の方も読んでみたくなる。読んでよかった!
  • 2025年7月1日
    自我と無意識
    自我と無意識
    20歳前後に本作をよく読んだ。それからだいぶ経った現在の感想が当時と何ら変わらないことに自身で愕然する。何の成長があったのか? と。 およそ、極限状態以外の人の魂の有り様が全てここに抽象ではあるが収められていて、それは文学における骨格のカタログに等しい。そんな感想であり、相変わらずいい加減であり、軟弱である自身に忸怩たる思い。私のベンチマーク。
  • 2025年6月30日
    新訳 大いなる遺産 下(2)
    新訳 大いなる遺産 下(2)
    原文にあるディケンズの言葉遊び、掛け言葉、凝った表現が醸し出す響きや意味の余白を再現することを旨とした訳文は、若干の読みにくさを伴っていたと個人的には感じていたものの、でも、粗野でもあり繊細でもあり低俗でもあり高潔でもある、その物語内部の反復のダイナミズムがわかりやすく表現されていると思った。大いなる遺産、素晴らしい。
  • 2025年6月28日
    新訳 大いなる遺産 上(1)
    新訳 大いなる遺産 上(1)
    新訳を読む。 「ピップ、愛しい相棒、人生は数えきれねえほど多くの部品が溶接されてつながってできてるもんだ。それで、ある者は鍛冶屋、ある者はブリキ職人、ある者は金細工師、ある者は銅細工師だ。そういった区分がねえといけねえ。そりゃ受け入れねえといけねえ。今日、何か粗相があったら、そりゃ俺のせいだ。おめぇと俺とは、ロンドンで一緒になるべき人間じゃねえ。一緒におれるのは、俺たちだけの、仲間内の、見知ったところでだけだ。別に威張って言うわけじゃねえが、俺はちゃんとしていたい。だすけこんげな服でおめぇに会うことはもう二度とねえ。俺は、こんげな服、着てちゃだめなんだ。俺は鍛冶場から出ちゃだめなんだ。鍛冶場から、台所から、ぬめ地から出ちゃだめなんだ。俺が鍛冶場の服着て、この手にハンマー握ってるところ見たら、いやパイプだってかまわねえ、そんげな俺見たら、おめぇは今日の半分だって俺んこと、だめなやつとは思わねかったはずだ。もし、今後俺に会いてえと思うことがあるとしたら、鍛冶場の窓から覗いて、鍛冶屋のジョーがそこで古い鉄床ん前で、焦げた古いエプロンつけて、相変わらずの仕事守っているところ見てくれたら、この俺だってそれほど捨てたもんじゃねえってことはわかるはずだ。俺はば ーか鈍いけんど、どうにかこうにか今、まっとうなこと叩き出せたんじゃねえかな。そうせば、元気でな、愛しい懐かしいピップ、なあ相棒、神様のご加護があるように!」
  • 2025年6月25日
    頼山陽
    頼山陽
    目に留まり、教養として。
  • 2025年6月23日
    若い読者のための美術史
    若い読者のための美術史
    おすすめ!
  • 2025年6月21日
    若い読者のための音楽史
    若い読者のための音楽史
    めちゃくちゃ面白かった!
  • 2025年6月19日
    万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典
  • 2025年6月17日
    マノン・レスコー
    マノン・レスコー
    めちゃくちゃおもしろかった。オールタイムベスト。
  • 2025年6月15日
    消しゴム
    消しゴム
    なるほど、と思った。読書中は、なぜか、町田康の短編との共通点を思った。
  • 2025年6月13日
    沈黙の春
    沈黙の春
    素晴らしい。素晴らしい仕事。魂を感じる。一方で、最終的な人々への説得が、経済合理性であることに、さまざまな限界も感じ、それは今も変わらないことで、さらに重くのしかかる現代日本。
  • 2025年6月11日
    われら
    われら
    1920年代の東欧やロシアへの批判をダイレクトに受信した、と言った個人的な感想。
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