クヌルプ(新潮文庫)

7件の記録
紫香楽@sgrk2026年3月25日読み終わった再読。昔好きだった本。 今読むとクヌルプはわりとろくでもないやつで、責任を負い覚悟を決めるといったことのできないまま生涯を終えた人といった風なのだが、彼にとって責任を負い覚悟を決めるべきときや事物が訪れなかったということなのだろうとも思う。裏切られることから始まってしまったのも不幸なことだったのだろう。 そして最後に病院へ入ることもしなかったところに彼の流浪の旅は彼にとって選択すべき道であったのだろうと思う。 高校生のとき友人に勧められて読んだのだが、今は連絡先のわからないその子のことを思い出す。最後に会ったときに「これから旅に出る」と言って連絡を取れなくなってしまったのだが、今にして思うととてもクヌルプのような人だった。 今でもそのとき連絡先を求めすがるんだったと日々後悔し、その人を探しているのだが、クヌルプの二編目の友人のようにどちらにせよ結局はまたどこかで連絡を断たれたのだろうとも思う。 三編目でクヌルプが友人たちと再会した話を読み、自分もまたいつかその人に再会できたらと思った。 また会いたいよ〜〜〜〜〜っっっ😭😭😭
CandidE@candide_jp2025年4月1日読み終わったヘルマン・ヘッセの作品群を『ガラス玉演戯』という仰ぎ見る山への登頂に見立て、その下山の過程として本書を読んだ(その2) クヌルプのような放浪者は現代にも存在する。しかし決定的に異なるのは、彼らの人生における時間軸と死の位置づけである。100年前の人生は、当然ながら今より短かった。クヌルプ自身も、彼の人生を狂わせた初恋の相手も、若くして命を閉じる。この儚さが物語に深い陰影を滲ませる。 現代に生きる我々の人生は、クヌルプのそれを年嵩の量だけ水で薄めたものである。その質は、時の長さの分だけ酸化して粗悪になっているのかもしれない。現代のクヌルプは80歳になっても化粧し注射し徘徊し、あるいはボットとしてSNS上で半永久的に存在し続ける。どこかの大統領のように。 誤解を恐れずに言えば、世代の新陳代謝が高かった100年前には、ある種の潔さがあった。その人生の短さこそが、一人一人の一瞬一瞬に濃密な意味を与えていたように思えてならない。






