からだに従う ベストエッセイ集
13件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年5月17日読んでる大人たちはいつも若さのもつ非人間的な秩序というものに気づいていなければいけない。そして青年を動かすものはコスモスであって、決して大人たちではないということにも。大人たちはただ自分たちの人間的な秩序というものを、正しいと信ずる形で見せるだけでいい。青年はいつかはそれを受けつがざるを得ないのだから。だが大人たちが青年に人間を強制すると、青年は本能的に自らの非人間的な秩序でそれに対抗しようとする。非人間性が本当におそろしくなるのはこのような時である。だがそうでない時には、青年という獣は、その非人間性によって、かえってコスモスの中の人間の位置を正しくするとぼくは思う。 (『青年という獣』) ここに書かれている「コスモス」が もっとも美しく、最も切なく描写された作品が 自分にとっては『Sunny』(松本大洋)。 「コスモス」と「生活」の調和とは、 実現はおろか、描くことすら難しいと あらためて噛みしめさせられる文章。
ジクロロ@jirowcrew2026年5月3日読んでる今日ほどおとなが子どもを気にする時代はないのではないか。おとなは子どもの顔色を見て一喜一憂する、市場は子どもの好みを追いかける、すべての人が教育問題を憂えている、おとなはほとんど子どもに頼っていると言ってもいい。自らの社会に自信があれば、おとなは子どもをほっておく、親というよりは社会が子どもをしつけ、子どもを教育するから。おとなが子どもを気にするのは、おとなに未来が見えなくなりつつあるからだ。過保護とは子どもへの甘えではないのか。 (『あとから生まれたもの』)

ジクロロ@jirowcrew2026年5月3日読んでる子ども時代をふり返ると、私は何よりも先ず一種の暗さを感ずる。そして次に無力感とそこから生じるいら立ちのようなものを思い出す。暗さは、未分化なせまい意識と言いかえてもいいと思う。今の自分がところどころに晴れ間のある霧の中を歩んでいるとすれば、子ども時代の自分は一寸先も分からない濃い霧の中にいたと私は感じている。 (『暗さと無力』) 自身の「暗さ」に対する正直さ。 「子どもの頃はよかった」という感慨はつくられた、または切り取られ編集されたものであり、大人としての「弱さ」に直結しているような気がする。 自身の過去に不正直であることは、自分のうちに棲まう子どもへの裏切りとも言えそうな。 ぜんぶ嘘さ 大人はクソだ 子どもの頃 楽しかった なんて うそさ (『うそさ』 Jinmenusagi) 最近は、時間が空くとこのフックが頭の中を何度も再生される。頭は正直だ。 ノスタルジックとは「幸福」の編集工学。 気分の良いときは、気分のよくなるものしか 集められない。 これが「幸福」? これだけでは「詩」にならないということを、 谷川さんはこのあまりにも正直な (正直すぎて驚くほどの)文章で教えてくれる。
おこめ@ocome_squash2025年4月6日読み終わった女と男、大人と子供、文章について、など、とても面白かった。わからないということに向き合っている谷川俊太郎の素朴な言葉がいい。 詩人の言葉がどんな思考から溢れてくるのか知れて嬉しい。
おこめ@ocome_squash2025年3月31日心に残る一節しかし一つの単語を使いたいと思っていて、しかもその語の意味するものを自分がいったいどこまで深くつかんでいるのか分からないという不安感、或いはひとつの語の後に、またひとつながりの文の後に、他の語、他の文をむすびつけることで、私たちはその語、その文に自分なりの新しい意味をつけ加えようとするのだが、そのむすびつけかたがどこまで自分だけのひとりよがりでないのかという孤独感、そうしてまた、言葉以前の心の中の未分化なもやもやが、自分の力の不足からどうしても曖昧な言葉にしかなってくれぬいら立ち、例をあげ出すときりのない、そうしたほとんど肉体的な苦しみをへずに、人は自分の言葉、自分の文章に近づくことができない。
おこめ@ocome_squash2025年3月31日心に残る一節『世界へ!』より たとえば私が〈私はおまえを愛する〉と、詩に書く時と、本当に女にいう時とでは、明らかにその言葉は異っている。そのように、私の中で、言葉はいつも二重になっている。 〜略〜 それは明らかに異っていながら、私の中で奇妙に錯綜して私を悩ませる。





