知られざるコンピューターの思想史

2件の記録
- 中根龍一郎@ryo_nakane2025年5月13日読み終わった思想は人によって育まれ、共同体によって制限される。共同体にはそれぞれの継承してきた歴史があり、大切にするものがあり、敵視するものがあり、重んじるものがあり、軽んじるものがある。そして共同体はしばしば、近隣の共同体の干渉や変動によって、おびやかされ、ときに変容を余儀なくされる。思想史は、そのような共同体と人の関係を記し、共同体の変容に伴う人の隆興没落や、流出や流入を記すことになる。 分析哲学とコンピューターの歴史を、数理論理学の発展とそのヨーロッパからアメリカへの流入という同じ根を持つものとしてとらえていくこの本は、数理論理学がなぜヨーロッパの一地域で発展したのか、その担い手はなぜヨーロッパからアメリカの一地域へ移っていったのかを、ヨーロッパとアメリカ、それぞれの一地域における地理的・歴史的条件から読み解き、理由づけていく。そこに見えてくるのは思想を条件づける宗教と民族、そして戦争の歴史だ。 オーストリア、ハンガリー、チェコ、ポーランド、ドイツといった中欧・東欧の、近代における歴史的な事件で(ポーランド分割やナポレオン戦争、普墺戦争や世界大戦、そしてナチスドイツ)、影響を受けていくそれぞれの国の大学制度や、それらの国に暮らす個々の学者たちが自分の民族と属する国家との軋轢やコミットメントのなかで、どのように国ごとの思想潮流がつくられていったのかの記述はとても面白い。特に宗教的寛容の問題として、プロテスタントの哲学者であるカントがカトリック国のオーストリアで受け入れられにくかったという点はおもしろかった。それによってオーストリアでは(カトリックと思想的にも結びつきが強い)アリストテレスの論理学に基づいた哲学が流行し、カントの数学観を批判する点から数理論理学が受け入れられ発展していくことになったのだそうだ(もちろん、あくまでこの本の歴史観に従うなら)。 いわゆる大陸の哲学(ポストモダン系)と英米系の哲学(分析哲学系)の対立は知っているつもりだったけれど、その対立の根はけっこう歴史的な宗教観の違いに根ざすところもあるのかもしれない。分析哲学はアメリカが本場だが、それを準備したものはアメリカに移住したオーストリア系の数学者や哲学者であり、そのオーストリア系の思想の根には、プロテスタントのカントと対立する形での、カトリック的アリストテレス思想があったということになるのだから。 宗教的対立といえば、ユダヤ人もこの本にたくさん出てくる。ユダヤ人の学者たちは、カトリック国でその宗教的理由から出世が望めなかったという(改宗する人もいる)。また、彼らが新天地を求めたアメリカでも、しばしば差別にさらされた。オーストリア帝国が揺らいでいくなかで国民国家の独立の機運が高まり、その機運において、国家をもたないユダヤ人がむしろ属する場所を失っていくというプロセスもずいぶん考えさせられた。「大きな国家」がひとつあって大きな地域を支配しているということは、一見とても暴力的なことのように見える。でも実のところその大きな国家の内部では、「同じ国家に属する多民族性」というものが前提されていたりすることがある。もちろん国家内で民族同士の対立や、少数民族への差別はあるだろう。しかし「同じ大きな国家」という枠組みは、対立や差別をある程度のレベルへ押しとどめている面もあるのかもしれない。「同じ大きな国家」がこわれて、無数の小さな集団にわかれていくとき、しばしば集団同士の対立は激しくなっていく。 人にはそこにいやすい場所といづらい場所がある。過ごしやすい場所と過ごしにくい場所がある。その人の出自や興味、趣味嗜好、信条、信仰、言語や民族といったアイデンティティをつくる諸要素が、属する集団や土地の気風や歴史的文脈、政治制度とすれ違ってしまったり、相容れなかったりするとき、人はしばしばそこから出ていくことになる。あるときは自発的に、あるいはやむをえず、ことによると強制されて。そして出ていった先で、人は新しい場所を見つけだすことがあり、その新しい場所で、新しい思想を育むことがある。 でもそれには場所が必要だ。多くの人が集まる場所、別のところでは生きていくことができなかった人たちが、そこでなら自分のアイデンティティを維持できるという場所。 コンピューターを生み出し、分析哲学が大きくなっていったアメリカで、そうした場所をつくったのは大学だった。ヨーロッパにいつづけることが難しくなった人々や、より豊かな研究環境を求める人々が、大学に居場所を見つけ、仲間や友人と出会い、研究を進めていった。 この本にはふたりのゲイが出てくる。数学者・論理学者のJ. C. C. マッキンゼーと、チューリング・マシンで知られるアラン・チューリングだ。ふたりはコンピューターの発展にとって欠かせない人物で、ともに同性愛者で、どちらもそれを問題視されやがて自殺した、と記される。 それぞれに苦労しながら、自分たちの思想のための場所を見つけ、築いていった学者たちのなかで、そのふたりの行き着いた自殺という地点は、ずいぶん苦しいものとして、読んだあとにも影を落としている。