八郎

八郎
八郎
斎藤隆介
滝平二郎
株式会社 福音館書店
1967年11月3日
7件の記録
  • コロ
    @colo
    2025年5月29日
  • たぶん子供のころに一番好きだった絵本だと思う。読み聞かせを何度もせがみ、字が読めるようになってからはひとりで読み、小学生くらいになっても本棚から引っ張り出して読んでいた。 大きな体と力をもって生まれた男が、自分は参画できなかった共同体を守るために身を捧げるという英雄的自己犠牲の話はとてもドラマティックで、その主な筋立てはもちろん好きだった。しかし、その八郎の英雄的自己犠牲のプロセスに、嫌がりながら巻き込まれていってしまう寒風山がいるという不思議とコミカルなつくりが、実のところ、子供心にいちばん面白いと思っていたかもしれない。母は寒風山の「八郎、おらさみい、おらさみい」を、誇張して哀れげに読んでいた。その言い回しが私は好きだった。 八郎が自分が生まれた意味を雄々しくつかみとり、その達成に身を投げるまさにその現場で、まったく本人の同意なく同伴させられてしまう寒風山がいる。そして八郎が波に沈んでいく時に、八郎の髪に営巣していた鳥たちは、ついにその巣を失ってしまう。そのように「自己犠牲的行為に不同意のまま同伴させられてしまう他者」がいる、英雄的行為に、どこかすっきりしないものが残る感触が、八郎にはついてまわる。 八郎は沖に沈んだあとも、水底で踏ん張って(けっぱって、と書かれていたような記憶がある)波を食い止めている。そのようにして村は水害から守られている。インフラが機能しているとき、そのインフラの機能を守ることに従事している人がいる。従事は時に苦役的に見えるかもしれないが、実はその労働への従事が、疎外ではなく、むしろ召命(天職)として、人間的な生の実現になっていることがある。一見すると苦しいことやつらそうなことでも、実はその底には喜びがあることがある……そうした世界観は、八郎を通じて自分に内面化されたと思う。 しかしそんな喜びを伴った自己犠牲的行為にも、実は不同意の同伴者がいることがある。自己の実現が、他者を巻き込むことで、他者の地獄になってしまうことがある。もちろん八郎を読んだ子供のころには、そんなことは考えもしなかった。 ただ、八郎の巻き添えになる寒風山に、なにかしっくりこない、そうしてどこか見逃しがたいものを感じてはいた。 私は忍耐強い。しかし忍耐強いということは、しばしば周囲をその忍耐の犠牲にする、ということを、このごろ考える。
  • SAORI
    SAORI
    @_daily_si_
    2025年3月5日
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