真田太平記 10

3件の記録
- つつじ@m_tsutsuji08152025年9月4日読み終わった"豊臣家の重臣たちの大半は、大きな戦場で、みずから戦った経験がない。ゆえに、彼らは、頭で戦おうとしている。この点、関ヶ原の石田三成と似ていないこともない" "けれども、石田三成の場合は、西軍の総司令官であった。よきにつけ、悪しきにつけ、最後の作戦の断は三成が下したのである。 大野治長の場合は、豊臣秀頼の代弁者のようなかたちなのだが、だからといって、秀頼の意志がふくみこまれているかといえば、(怪しいもの……)と、いってよい" そんなんだから "大野治長の言動を見ていると、(これは、亡き治部少輔三成のほうが、まだしも、よしとせねばならぬか……)と、真田幸村は直感をした" とか言われるんである 石田三成、器ではなかったとしても、せめて「武将」だった……が大野治長は三成の縮小コピーにすらなっていない