真田太平記 10

真田太平記 10
真田太平記 10
池波正太郎
新潮社
2005年7月1日
3件の記録
  • ぼす
    ぼす
    @backtoboss-s
    2025年9月25日
    何というか、環境がどうであれ 死力を尽くし悲願を果たす。 そのことの美しさを見ている気がする
  • "豊臣家の重臣たちの大半は、大きな戦場で、みずから戦った経験がない。ゆえに、彼らは、頭で戦おうとしている。この点、関ヶ原の石田三成と似ていないこともない" "けれども、石田三成の場合は、西軍の総司令官であった。よきにつけ、悪しきにつけ、最後の作戦の断は三成が下したのである。 大野治長の場合は、豊臣秀頼の代弁者のようなかたちなのだが、だからといって、秀頼の意志がふくみこまれているかといえば、(怪しいもの……)と、いってよい" そんなんだから "大野治長の言動を見ていると、(これは、亡き治部少輔三成のほうが、まだしも、よしとせねばならぬか……)と、真田幸村は直感をした" とか言われるんである 石田三成、器ではなかったとしても、せめて「武将」だった……が大野治長は三成の縮小コピーにすらなっていない
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