思いどおりになんて育たない
5件の記録
- 端隅@R_nut2026年3月4日読み終わった原題は"The Gardener and the Carpenter" で、親のあり方を木工職人と庭師に例えている。 → 子どもの世話をすることは、(略)木工のような、決まった形の大人をつくるためのものではない。親になることは、庭づくりに似ている。大切なのは豊かで安定している安全な環境を整えて、いくつもの違う花が咲くようにすることだ。 なぜ人間の子どもは育つのに手間も時間がかかる(生まれて数時間・数日で自分でエサを食べられる動物も多い)のか。子どもにとって遊びとは何か。子どもはどんなふうに身のまわりの世界を理解しようとし、どうやって学んでいるのか。大人と子ども、子どもと新しいテクノロジーとの関係について。 現代の教育は、学校や教師も評価から逃れられず、結果的に木工に近くなりやすいってことなんだなぁ。 庭師(反ペアレンティング)の考え方は同意できる。庭師といっても放任ではなく(子どもは乱雑で何をしでかすかわからない生き物だし、放置したら高確率で死ぬ)、環境をつくるのが仕事ということなんだけれど、水やりや追肥、わき芽をとるとか支柱を立てるとか、どこまでが適切でどこからが過剰なのかは難しいよね……それが目の前の子どもと向き合うということだろうけど。 人間と新しいテクノロジーの話も面白かった。古くは(人類の歴史から見ればそう古くもないが)読むこと・書くことも新しいテクノロジーだったし、鉄道や写真なんかもたぶんそうで、ひとはずっと新しいものを発明したり試したりしてきた。イノベーションの多くは若いひとたちが先頭に立ってきたように、AIなんかも使いこなしていくんだろう。何かができるようになる一方で、失われる能力もあるよなぁ、と思うけれど、未来は子どもたちのものだからね。ただ大人としてできるだけよいものを手渡したいとは思うよ。

- 綾鷹@ayataka2026年1月29日気になったので、さらっと読んでみた。 育児は正解がないし、子供はそれぞれに違う。 親の育児で子供の将来が決まるなんて、 おこがましいんだろうな。 ・ペアレンティングが規範として間違っているというなら、正しい考え方とはどのようなものなのか。※親”という言葉は実際には動詞ではないし、仕事の形態でもない。そして子どもを決まったタイプの大人につくりあげるという目標に向かうことではないし、そうあるべきでもない。親であるー子どもを世話するーことは、深くて無二の人間関係の一部になり、ある種の愛に浸るということだ。仕事は人間の生活の中心である。それがなくてはやっていけない。しかしフロイトとエルビス〔・プレスリー〕が言った〔と少なくとも伝えられている〕ように、仕事と愛の両方が、人生を価値あるものにしてくれる。 ・私たちはもっとうまく誰かを愛したいと望むことはあっても、愛を仕事とはあまり考えない。 よい妻、よい夫になれるよう努力するとか、よい友人やよい子どもでいることは大切だと考えることはある。けれども夫の性格が結婚してからよくなったかどうかという尺度で結婚を評価しょうとはしない。私は昔ながらの友人との友情を、初めて会ったときより相手が幸福か、あるいは成功しているかどうかで評価することはない。むしろ苦しんでいるときにこそ友情の真価が問われる。ところがペアレンティングにはなぜかそれが当てはまらない。親としての質は、育てた子どもによって判断できる、さらには判断するべきであるという考え方をとる。 ・子どもを愛する目的は、特にそのよるべない人間の子に、豊かで安全で安定した環境しやがて変化、革新、新たなものが花開く可能性を持つーを与えることだ。これは生物学的、進化論的な見地からも、個人的、政治的観点からも正しい。子どもを愛するということは、子どもに行き先を示すことではない。旅に必要なものを与えることだ。つまり親であることは単純に子どもを愛するということだ。ただしその愛は決して単純ではない。 ・ではなぜ親になるのだろうか。子どもの世話に価値があるのはなぜなのか。親になることに価値があるのは、いずれ立派な結果がもたらされるからでも、決まったタイプのすばらしい大人を生み出すからでもない。親になると、文字通りの意味でも、比喩的な意味でも、新しい人間を世界に送り出すことができるからすばらしいのだ。どの子もまったく新しい唯一無二の存在だ。それは新たな遺伝子と経験、文化、そして運が複雑に組み合わされた結果である。きちんと世話をすれば、どの子も大人になって、唯一無二の新たな人生をおくることができる。その人生は楽しかったり悲しかったり、うまくいったりいかなかったりするかもしれないし、誇りや後悔に満ちたものかもしれない。最も価値のある人間の生活とは、これらすべてのことだろう。自分の子に対して感じる無条件の愛情は、その唯一無二なものを尊重し支える手段なのだ。 ・最初に私はこんな疑問を呈した。私の子どもの育て方は正しかったのか。子どもたちの人格形成に私はどんな影響を与えたのか。それを振り返ってみて、私はこうした疑問自体が不適当だっ たと強く感じている。 私の子どもたちは誰も私の人生をなぞっていない。それぞれが自分で無二のすばらしい人生をつくりあげている。それは私の価値観と習慣、子どもたちを教えたり世話してくれた人の価値観や習慣、彼ら世代が生み出したもの、彼ら自身が生み出したものが、ごちゃまぜになったものだ。ときどきは理解できなかったり、あぜんとしたりすることもある(ピアス?ギャングスタ・ラップ?)が、驚いたり喜んだりすることのほうが多い(プロがつくる総菜!エコな家具!)。私はこれ以上は何も望めない。

- Pengin@penguin_20162025年12月22日読み終わったある男に魚を与えれば、その日に食べる魚を得られる。その男に魚の釣り方を教えれば、一生食べる魚を得られる。放っておけば、そいつは自分でどうにかするだろう。



