端隅
@R_nut
- 2026年2月25日
他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめブレイディみかこ読み終わったアナキズムと民主主義とエンパシーは深く関係している。グレーバー、金子文子、利他、コロナ禍と相互扶助、そして教育……近年関心を持って読んだり考えたりしてきたことがたくさん出てきて、もっと早く読めばよかった!と思う。 著者はシンパシーとエンパシーを区別し、エンパシーを「自分の靴を脱いで、他者の靴を履く能力」と表現している。わかりやすい。自分で靴を脱ぐには自由でなければいけないし、自分を統治するということでもある。 エンパシーを善いものに限定せず、闇落ち(悪用)についての記述がある点もよかった。 "エンパシーを搾取されきった状態になると、人は政権に従順になり、その決定に抗う人々が他者への思いやりのない「邪悪な人」に見えてくる" 政治家の靴をはいて、自分の靴を失くしてしまった?エンパシーのない人物としてサッチャーを挙げているけど、高市にはあるのか?とこの1ヶ月のことを考えてしまう。 迷惑やわがままを気にしすぎることについても。すべての人が社会とつながっているし、社会の中で生きるというのは迷惑をかけあい、わがままを言いあい、摩擦や齟齬があれば互いに折り合いをつけていくことだ。この対話して折り合いをつける、というのが民主主義の基礎だろう。個人と社会を対立するものではなく、肺と心臓に例えているのもよかった。社会は個人を生かすためにある、ということも忘れずにいたい(社会のために個人が生きるのは苦しい……苦しいのは嫌だ!と言える社会がいい)。 国や政治、システムによる支配や抑圧に抵抗し、自分やとなりで生きている人間を大切にする、自由と民主主義を求める人間としてアナキストでいたい。 - 2026年1月22日
読み終わった言う と 言わない は二択じゃなくてその間にはふるまいも含めていろいろあるし、言うときの伝え方もいろいろあるよ、という本。仲間を増やす、言えそうな人に頼む、おとしどころを意識する、等々、自然とやってることも多いんじゃないかな。読み終えても政治学って何だろ……という感じではある。 どちらかというと自分が正論で詰めてしまうタイプなのであまり合わなかったかもしれない。その場・状況にあわせて工夫しましょうってのはわかるけど、トーンポリシングされない言い方をするってのも、なんかもやもやするというか。属性で話を聞くかどうか判断してるような相手に、気に障らないように意見を伝えるのが良いってのは、その構造を追認してるようで気持ち悪いんだよなぁ(まぁそれで意見がとおって、現状が動くならいいじゃんってことなんだけど) 中心にあるのは、相手と戦うわけじゃなく対話する、ということだから、どうすればそれが可能かという話と思う。 発言しにくいひとが萎縮しない、声の大きい人だけじゃなく立場や属性にかかわらず意見を出しあえる環境はどうしたらつくれるか、ということを一緒に考えたい。 - 2026年1月16日
幸福はただ私の部屋の中だけに早川茉莉,森茉莉読み終わった森茉莉の文章を初めて読んだ。わたしには早すぎたかも……と思ったが、徐々に読み方がわかってきたのか後半は楽しく読んだ。読点の位置が独特な気がする。 「切り抜き魔」「私の大好きな陶器」「ピストル 車 電気家具」あたりがよかった。自分の好きなものについて書くのもよいが、嫌いなものについて書くのも、勢いがあって面白い。対象や自身との距離感がいいのかな。昭和の時代や大衆をどう見ていたかも、あけすけで、冷静で、取り繕いがなく、よくわかる。自分が他者にどう思われるかなどたいしたことではないという自己肯定感のようなものがないとここまで書けないのではないか。 昔住んでいた家やお気に入りだったのに今はもう手元にないモノについて、考えたりした。好きでもないものに囲まれている暮らしについても。 「やわらかな気持ちでよい文章と暮らす」のおそろしく身につまされる一節を書いておく。 美しい文章を書くということは、やはり、自分の内から、自然に流れ出てこなくては駄目である。良い文章を書こうなどと小手先の技術だけにこだわっても良いものは生まれない。また、自分の書こうとしていることが、相手(読み手)に伝わることが肝心である。どんなに美しい言葉を綴ってみても、相手に意図することが伝わらないようでは、それはただの駄文である。 - 2026年1月13日
幸福はただ私の部屋の中だけに早川茉莉,森茉莉読んでる(宇野浩二について) 全身がぬめぬめした頭も、胴も尾も凸凹があまりない、水の中に棲む生物で、岩の蔭とか岩窟の中にひそんでいて、近寄って危害を加えようとするとぬるぬるしたものを全身から出して、姿が見えないようにする。そんな生物のような、そんな一種、いうにいわれない妙なところのある人物に見えた。そういう生物に目があったら、こんな目だろうと思われる目で一瞬、宇野浩二は私の顔に目をあてたのである。 どんなひとなんだろうと思ってつい検索してしまった。 読み返すと、その写真の、イメージの宇野がわたしを見てくる感じがする。おもしろい。 - 2026年1月10日
とるにたらない美術原田裕規気になる - 2026年1月8日
思いどおりになんて育たないアリソン・ゴプニック,森口佑介,渡会圭子気になる - 2026年1月7日
読み終わったスマホ時代(常時接続によって孤立・孤独が失われがちな世界&常に変化と成長を求められるポストフォーディズムの時代)に、哲学する(他者の知識と想像力をつかって、慎重に考える)ことについて。 自分と対話するには孤立が必要だが、スマホ時代にはそれがとても難しい。ひとつの処方箋として「趣味」をもつことを挙げる。何かをつくること・育てることが、ネガティブ・ケイパビリティを育むことにつながる……かもしれない。 「趣味」は禅とも相性がよさそう。その行動の外に目的がない状態というか、生活そのものを趣味にしたら禅僧に近くなる気がする。育てる対象が自分であってもいいと思うし、その謎の存在を疑いながら食事をつくり家事をし暮らす……座禅は自己対話かつ「何もしない」をするみたいなものかなと思うし。自己完結型にも見えなくはないが……(これはモヤモヤしたままにしておこう) 安易に結論づけたり判断したりしないでおこう、という本なので感想も曖昧でよいのだと思う。この「安易に」というのが難しくてまた悩む。でも言葉にしないと自分とも他者とも対話できないから、不完全性を前提としてやってくしかない。
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