死ねばいいのに

4件の記録
のら@NORA-nyan52026年7月1日読み終わった再読466ページ ★★★★★ 映画に備えて何度目かの再読! 2年前の舞台は原作に忠実ですごく良かったけど、映画はケンヤが女性になっているそうでどういうアレンジになっているのか楽しみ- ナナミ@nanami3732026年5月31日読み終わった映画化の広告で流れてきて、妙に見過ごせない心のざわめきを感じKindleで読み始める。あ、これ読んだことあるわ、と気付いたのは母親に会いにいく段。非読書家の人生の中で、特に読書をしなかった年間1.2冊読めばいい方の時期に読んだ本なのに忘れるかね。すっかり忘れて同じ理由で同じ本に手を伸ばしたの面白い。過去の私と気が合う。これが、死ねばいいのに、って言葉の訴求力の強さかもしれない。中央線はいまだに転落防止柵がなくて、中野駅の1号車の停車位置に立って近づいてくるヘッドライトを眺めていると吸い込まれそうになる。その前前前段階くらいの、吸い込まれそうになる心境ってどんなだろうなァ、怖いなァ、くらいの感じ。言葉を選ばずに言えば興味がある。他人に、あるいは自分に、死ねばいいのに、って言葉をぶつける暴力性。暴力性。私はそれをそう感じるけど、ワタライくんのそれは、なんというかもっとぬるっとしてる。強制、提案、可能性の提示、みたいなコミュニケーション要素は薄くて、なんか、発見。発見しちゃった。じゃあ死ねばいいのに。ぬるっと、その言葉は気が付いたら隣にある。あまりに自然だからぎょっとするのも違う気がする。それを他人にあるいは自分に、発するのってどんな気持ちだろう。 母親が、あさみ、と泣くところで、なんか不思議と縋りつきたくなるような馴れ馴れしさを感じてしまう。20代の私がこの本を手に取ったきっかけはきっと昨日と変わらないとわかるけど、母親の回だけ記憶が濃かった理由については、なんだか想像するしかない。気持ちの悪い想像。今、物語の中の娘より物語の中の母に年齢が近くなっても、現実の私は永遠に娘だから、そういうエモさが心に残るのかもしれない。母という概念に無条件に平伏するような感覚は、私と実母の二者関係ではなく、社会的な後ろめたさだからくだらない感情です。理解できる機会を喪失したから母性は永遠に神聖です。永遠に神聖であることがいよいよ確定しましたよ、10年前の私。また10年経って、読んだことすっかり忘れてタイトルに心をざわつかせて読み始めた時、また母親のシーンでこの本読んだことあるって思い出すのかな。





