ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの

ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの
ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの
フロイト
中山元
光文社
2011年2月20日
2件の記録
  • 夏海
    夏海
    @myhookbooks
    2025年9月17日
  • CandidE
    CandidE
    @araxia
    2025年9月7日
    本書はフロイトによる文芸批評集で、作家や作中人物に精神分析理論を応用した考察が収められている。どれも面白い! また、解説が素晴らしく、「「不気味なもの」という文章を軸にして、この時期におけるフロイトの思考の複雑な流れを分析」し、背後にある「反復強迫と死の欲動」の概念に迫っている。 扱う作品は―― • シェイクスピア『ヴェニスの商人』『リチャード三世』『マクベス』 • イプセン『ロスメルスホルム』 • ゲーテ『詩と真実』 • E.T.A.ホフマン『砂男』 • ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 など、名作群である。 個人的には、ゲーテの幼年期エピソードの分析が最も印象に残った。 フロイトは「窓から食器を投げ捨てた幼児期の記憶」を、隠蔽記憶=きょうだい競合(弟妹との競合)の置き換えと解釈する。要するに、母の愛を独占したい欲望が別の記憶に姿を変えて保存されている、という仮説である。そしてここで重要なのは(私の読みも混入するが)、その独占欲の痕跡が創造性の源泉となったという洞察だ。結果的に、母への一次的欲求が十分満たされたことで、その記憶を後年エピソードとして意味化できたことはゲーテの幸運である。包容力があり受容的な母という安全地帯を心の基底に持ち、そこで醸成された「世界は基本的に耐えうる」という感覚が自己信頼へ昇華し、のちの大作家としての安定感と回復力(レジリエンス)の礎となった。これは非常に刺さる。 それからドストエフスキーについては、フロイトが癲癇という前提自体を疑うところから議論を始めるので唖然とした。調べると、疑義それ自体は当時の医学水準からすれば自然。ただし、それを断言して『カラマーゾフの兄弟』の解釈に大胆に組み込む強気はフロイトならでは、ということらしい。ちょっと私の予想と期待を裏切られる論旨であった。 そして、ホフマン『砂男』を読んでみたくなる。同時に、なぜか安部公房『砂の女』を久しぶりに読み返したくなり、ついポチってしまう。Kindleで新潮文庫がセールになっているので(小声)
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