増補 決闘裁判
2件の記録
授受@mocca11042025年7月12日読み終わった日本語だと本当に貴重な、神明裁判、特に決闘裁判について詳細に記述された本。法学部だったけど、コモン・ローが本当に苦手だったので、こういう副読本があれば違ったんだろうな〜と思ったりもしてた。
授受@mocca11041900年1月1日心に残る一節学び!特に印象的だった箇所をいくつか。本当に書ききれないくらい印象的で強烈な内容がたくさんある… ・p.35 神が自分のことを常に見ているという心理状態は、ちょうど太陽や雲が自分の歩みに付き従ってくると信ずる子どもと同じだという。…古いパラダイムの中にある人々にとって、すべての出来事は意味に満ち溢れ、自分に関係する。…自己のこの世での言葉や行為に対して不可思議な自然現象が発生することを、人々は奇跡と呼んだ。 ・p.152 守るべきは親族や血縁集団の名誉と利害であった。この前提からすると、決闘の代理は必ずしも力弱き者の代理に限定される必然性はないことになる。…決闘は、他人を親族にする程、血と結びついていた。 ・p.243 自己の権利と正義をあくまで自己の力によって守り貫徹せんとする強烈な意志と信念がここに鮮明に表れている。…これが決闘裁判の本質であった。 ・p.275 法が成文化されていない限り、法は劇化され、演じられねばならない。正義は、絵画のような衣装を纏わねばならない。さもなければ、正義は現れない。 ・p.304 法と裁判は文字と室内に閉じ籠もり、判決は文字から鳴る法典や判例の冷静な適用とされた。法は文字に知悉した専門家達のものとなり、判決は専門家の下す理性的正義だった。ここでは、社会的感情よりも、法的理性が優先される。パフォーマンスが総合的であるとすると、文字文化は単一で独占的だった。それは、知的に洗練されたモノクロームの世界だった。