ジャン=リュック・ナンシーの哲学
3件の記録
Ryu@dododokado2026年3月8日読んでるここで問題は、主権がその目的を実現するための手段ではなく、それ自体の実現様態としてその本質に属するとされる「技術」、〈テクネー〉とは何かということになる。しかし、この点の考察に向かう前に、戦争と法の関係に触れておかなければならない。 戦争による主権のこのような「実現」は本質的に例外である。「戦争の法=権利はみずからを法から例外化する」。この論点は湾岸戦争と前後する時期から、カール・シュミットの政治思想を陰に陽に参照しつつ、ジョルジョ・アガンベンなどヨーロッパの多くの知識人が強調することになったものだ。この思想潮流のなかでのナンシーのアプローチの独自性は、「例外」(excepion)が彼にあってはバタイユ的な「過剰」(excès)のモチーフと不可分なかたちで問題化されることであり、さらに「光彩/炸裂/破片」を同時に意味するエクラ)(éclat)という言葉を手がかりとする、彼固有の思考の脈絡と連絡していることである。 法には主権がその顕現において発するこの光彩がない。しかし法は「その光を、そしてその定礎的出来事を必要とする」。したがって道徳的秩序は、至高的主権の発動である戦争より上位には位置しえない。それは「戦争がその尖端、槍の切っ先にして例外点である秩序」なのであり、このことは国内法・国際法の区別なく妥当する。 しかし主権と法のこの関係は、ナンシーによれば、湾岸戦争が国際法の名において正当化され発動された戦争として現実化したとき、その恐るべき深淵をはじめて十全に覗かせた。ナンシーは現代世界に作用している政治的図式を三つに整理する。第一に新カント派の人間主義があり、政治の無限の道徳化を約束する。第二に政治革命の思想があり、もう一つの法の主体を指示することを目指す。ただし、この思想は法と主権の関係自体を変革することには絶えず失敗してきた。そして第三に「決断主義」。ナンシーは直接シュミットを名指してはいないが、この思想は否応なく全体主義に傾斜すると考える。 湾岸戦争の特異性、あるいはむしろこの出来事があらわにした事態の特異性は、この三つの図式のいずれによっても解釈できない。なぜならそれが明らかにしたのは、「「法の戦争」の図式と(……)「主権の戦争」の図式のあいだには空虚な空間が広がっている」ということだからだ。167-9

