〈象徴形式〉としての遠近法

〈象徴形式〉としての遠近法
〈象徴形式〉としての遠近法
エルヴィン・パノフスキー
Erwin Panofsky
上村清雄
川戸れい子
木田元
筑摩書房
2009年2月1日
1件の記録
  • yknst
    @yknst
    2025年10月20日
    エルヴィン・パノフスキー 『〈象徴形式〉としての遠近法』 ちくま学芸文庫 2009 ・ 扉ページに書いたメモをみると、2019年頃に一度、読んでる。 遠近法を、普遍的な形式としてではなくて、カッシーラーのいう〈象徴形式〉のひとつとして捉える。 写真機の写し出す(かつてはカメラオブスクラなどが映した)光学像は、アルベルティのいう「窓」とほぼ同じ性質のものといえるけど、それは凹面である網膜に投影される像とは違うし、視細胞と脳の視覚野を経て構築される視覚経験とも異なる。 だから、遠近法は〈象徴形式〉といってよいものだろう。 ヨーロッパにおいて、古代に形成された遠近法的な世界観が、中世に解体されつつ、新たに準備しなおされて、ルネサンス以降の完成へと向かっていく様子が70ページとかで書かれる。 ただ、パノフスキーの本はそういうパターン多いのだけど、註のボリュームが半端ない。 本文より多いくらい。 今回は註はほとんど飛ばして、一気に本文だけ数時間で読んだ。その方が趣旨は把握しやすい。註は、もっと詳しく!となれば読めば良い。
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