自己信頼

4件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年1月28日読み終わった時間と空間は目が生みだす生理的な色彩にすぎないが、魂は光だ。光があるところは昼であり、光があったところは夜である。 52 光をどこに用いるかということ。いや、光はどこを照らしているのかということ。 「光があったところ」だけでなく、光があるところでも、見えていないところは夜と変わらないということ。
ジクロロ@jirowcrew2026年1月28日読み終わったその人は、私たちの愛を求めなかったがゆえに、私たちの愛を一身に集める。私たちの非難を無視し、わが道を行くがゆえに、私たちは必死になって、まるで詫びるかのように彼の機嫌をとり、誉めたたえる。 人間が彼を憎んだがゆえに、神々は彼を愛する。 …… 人間の祈りが意志の病だとすれば、教義は知性の病である。 (p.79) 自分の欲望を「意志」という格好のつく言葉で表現していることがある。 このときの「祈り」とは、ただのあきらめの悪さ。 本当の祈りとは、そんな意志の尽きた先にある、 あきらめの清さである、とエマソンは言いたいのではないか。 求めないことにより求められるということ。 自由のもとにある知性を、鋳型に押し込めようとするものが教義、自由を恐れる知性は、熱病にでもかかったように教義を欲する。自身の知性が自然に振る舞うのを恐れるあまり。 人間が彼を憎むのは、彼の知性が自由に、自然のままに振る舞いすぎるから。 憎むという行為は、道徳や教義により抑圧を受けている者が本来欲している生き方を目の当たりにした際にあらわれる、「憧れ」の誤った表現である。
ジクロロ@jirowcrew2026年1月28日読み終わった自分の考えを信じること、 自分にとっての真実は、 すべての人にとっての真実だと信じること ーーそれが天才である。 心の中で確信していることがあるなら、 声に出して語るがよい。 そうすれば、 それは普遍的な意味を持つようになるだろう。 奥底にあったものが、 時とともに表に現れるように、 最初に抱いていた考えは、 最後の審判のラッパとともに、 私たちのもとへ返ってくる。 (p.7) 「それが天才である」 その頭に「ある意味」をつけないのが エマソンの天才である。 「最初に抱いていた考え」 それは直感。 それを信じられないからこそ、 自己の外の考えを引用する。 エマソンはそれを戒める。 しかしおのずと生まれてきた直感を 信じようが信じまいが いずれそれは自分のもとに戻ってくる。 「最後の審判のラッパ」の聞こえ方が 直感に対する姿勢そのものであるということ。

