承認をひらく

5件の記録
ヒヨリ@charonll2026年3月6日読み終わったずっと「人らしい人」になりたいと思っていたが、まず「人である」ために相互承認が欠かせないのだろう。 承認が「事実に間違いがなく、正しいもの、真なるもの、妥当なもの」を自ら問い直し、再認識することであるなら、「正しさ」とは何なんだろう? 内的価値基準としての良心についても触れられていたが、「良心」とは何なんだろう? 「正しさ」、「良心」はおそらく大きな枠のなかでは同じ意味を持つ。 それがどういう意味であるか(それを決められるかどうか)が問題なのではなく、その解釈の過程に、他者(社会)との関わり合いという視点を持つこと。多分やさしさや愛も関わってくる。スコット・ペックによれば愛とは、「自分自身と他者の精神的成長を育むために自己を拡大すること」だからだ。 承認には、「人びとの人間関係のなかで、さまざまな経験や学習が納得されながら積み上げられ、承認されて、人びととの連帯につながっていき、普遍的な考えとなっていく発展の過程」があるという。 他者(社会)との関係における相互承認は、自分と相手の領域を広げる。「正しさとは何か?」「良心とは何か?」と問い直し、承認する。この繰り返しから生まれる、もしくはそれを取り巻くのがやさしさや愛なのではないか。なぜなら一方的、つまり人間的なあたたかみのない承認は自分や相手の領域に「侵入」し「占領」するからだ。これこそ人権が「侵害」されている状態といえる。 しかし、「正しさとは何か?」「良心とは何か?」という視点を持って社会、他者とじっくり関わろうとするには(もっといえば社会活動(政治活動)をするには)やはり時間的、空間的、精神的余裕が必要ではないかと強く感じる。 "承認について考える承認"を得る、というジレンマがあるのではないか。 凡庸だが普遍的(と信ずる)な結論として、やはり一人ひとりが選挙に行って、社会の枠組みから変えないといけない… 国と国民の一方的な承認の関係を断ち切り、結び直さないといけない…

