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ヒヨリ
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@charonll
人文書、短歌、SF小説多め
  • 2026年5月10日
    共生の思考法
    共生の思考法
    第一章まで!「役に立つ」ことを自らに課すと、「役に立つ」かどうかで他者との関係性を測るようにもなる。しかもそれは「利益」として可視化される必要がある…ここで経済ベースの論理に乗るのではなく、「役に立つ/立たない」という価値基準以外を提示しないといけない ◎"各個人が(日常や労働の場で)市場の動きにスピード感を持って対応するため、自己責任によって絶えず自己啓発していかなければならない"「ネオリベラルな統治性」のもとに人々が規律化される →移民の社会的、文化的承認のプロセスよりも保守・排外主義的ナショナリズムによる批判に対抗するために、「多文化主義は国益に資する」という経済ベースの正当化の論理 →移民受け入れの選別制の強化 日本(人)に経済・社会的に貢献しうる「外国人材」のみを包摂すると同時に、コスト/リスクだとされた外国人を排除する「共生のための排除」の論理が強調されている。その結果、難民認定申請者や非正規滞在者を「不法」「偽装」とスティグマ化し国外退去を促進する、あるいは十分な支援をせずに仮放免措置によって地域社会に「放置」する ◎「みんな違ってみんないい」→"マジョリティもマイノリティも「個性」としての差異を持つので等しく尊重され、包摂されるべき"……? ある社会で「弱者」とされる人々がそれぞれの歴史的・社会的・政治的背景のなかで被ってきた、マジョリティが決して経験してこなかった特別な困難が無視・軽視されがちになる。その結果、自分たちの経験の特殊性を強調する「弱者」たちの主張や要求が「みんな多様なのに、あの人たちだけが特別扱いされるのはおかしい」という反発を招き、「お前だけが苦しいのではなくみんなが苦しいのだから、身勝手な自己主張で私たちに責任転嫁をせず、 自分たちでなんとかしろ」という自己責任論を引き起こしてしまう。「みんな多様だよ」という決まり文句が、より弱い立場にある人々の主張やニーズを否定し、現存する差別や不公正を隠し助長する帰結をもたらしうる。
  • 2026年5月7日
    検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?
    小川幸司の「論破型歴史叙述の問題点を考える」を読んだついでに、以前本書を読んだとき疑問に思った点を再度記録しておく。 ⭐️結局、良いか悪いかという論点そのものが神の視点ではないか? ◎無色透明な尺度を持てないのはしょうがないが、「ナチスの政策はすべて悪だ」というバイアスが掛かった状態の、結論ありきの状態で議論が進んでいる気がする(「ナチスは『良いこと』もしたのか」という論点でそのバイアスはダメだろって感じ、否定することが目的になってる?) ◎歴史意識にまで踏み込んでいく→歴史知識を「良い/悪い」の感情使って教えていくのはプロパガンダ的すぎないだろうか…? p.4 「尺度は時代や文化で変わる」のはその通りでは? p.110 多くの人びとはヒトラーを「悪の権化」と決めつける「教科書的」な見方に不満を抱き、「ナチスは良いこともした」といった「斬新」な主張に魅力を感じている。 ←これも、まだ単なる<意見>に過ぎないのでは? 「良い/悪い歴史」を誰が、どんなプロセスを経て決めて、それを誰が教えられるのか?「良い/悪い」という2項対立で歴史を捉えることでこぼれ落ちるものは何なのか? ⭐️そもそも、特権のない歴史学は可能か? この問いとセットで考えない限りパブリック・ヒストリー含めて難しいと常々感じる 筆者は本文内で引用の仕方に問題があったらしい…歴史的な正しさとは、明確な善悪や真偽の区別を求める正義感よりも、「歴史に対する真摯さ」で測られるべきだと思う。 プロセスをとにかく丁寧にすること。自戒の意味も込めて、大変参考になった。 特権のない歴史学については今後も考え続けなければならない。
  • 2026年4月29日
    日本社会と外国人
  • 2026年4月24日
    文学カウンセリング入門
    文学カウンセリング入門
  • 2026年4月23日
    八木重吉詩集
    八木重吉詩集
    うれしい またゆっくり読み返して、心の中に浸すんだ〜
  • 2026年4月23日
    共生の思考法
    共生の思考法
  • 2026年4月22日
    文学カウンセリング入門
    文学カウンセリング入門
    ◯(他者志向的である)美的活動の喜びは、対象と自己との関係から生じるのではなく、芸術的対象の周りに集まった人びとに共通の感覚である美を見いだすことから生じる ◯文学的活動を、活動の結果ではなく過程において意味化するプラクシス的地平が、文学自体に内在している ◯自分だけのやり方で考える権利を自分に保障している人が、自分の孤独を愛する人 ◯文学カウンセリングとは、悲しげな著者として出発した人を真摯な著者に変貌させる過程(ニーチェ) ◯読書とは「自分の影を浸したもの」を読むこと(リルケ) ◯怒りや悲しみの内実は人によって違い、それを同じ言葉で呼ぶことは個々の体験を曖昧なものにする すごく良い!!!買いなおして後半の実践パートやってみたい 理論面でも『歴史は現代文学である』の内容に通ずるところがあるし、今の研究の参考にもなりそう 美は本質的に社交性に基づいている、という視点もすごく新鮮で、でも確かにそうかも 作品と自分自身の対話というふうに解釈するのかな?と思ったけど、さらに発展して同じ作品を味わう場での出会いというか…美術館でも完全にひとりきりではないし 共有やコミュニケーションが美の本質なら、確かにその鑑賞において、限られた人たちが独占している秘訣や秘密はない 美術とアカデミーはけっこう関係が深いけど、教授や専門家ぐらいの知識がないと美的、知的活動を楽しめないなんて思わないし 早くまた読み直したい〜
  • 2026年4月21日
    在日外国人と帰化制度
    「帰化」と書いてあるから当たり前に「帰化」について、「帰化」という言葉を使って考えていたけど適切なのかな
  • 2026年4月21日
    在日外国人
    とりあえず初版だけ
  • 2026年4月20日
    暇と退屈の倫理学
  • 2026年4月20日
  • 2026年4月20日
    この国(近代日本)の芸術
  • 2026年4月14日
    歴史修正ミュージアム
  • 2026年4月14日
    影犬は時間の約束を破らない
    影犬は時間の約束を破らない
    この人の本を読んでいるとき、日記を読んでるみたいだといつも思う。小説を読むと何かしらの感情や記憶が喚起されたりされなかったりするが、それがあんまりない。冬眠する人とそれを見守るガイドの関係のように、まったく見知らぬ相手の頭の中を覗いてしまっているような、それとも何にも分かっていないような…この不思議な感覚が印象的で、読んだ感想や内容を誰にも説明できることはないし、自分でも何を読んだのかよく分からないままなんだけど、この開かれた状態がパク・ソルメの"通気性の良さ"なのかもしれない。構成らしい構成がないという構成、記憶や出来事や感情が縦横無尽に、それこそ日記のようにとりとめなく流れていく。 日々で起きる大体のことは筋が通っていないし、びっくりするくらい代わり映えしないことも多いけど、どの登場人物もある種そういうままならない日々を思うように生きている、ように振る舞っている気がして、実際彼らはよく歩き、よく食べ、よく考えていて、よく生きている。そこが結構好きだ。 分かりやすい人生への絶望とか、感動とか、そういう剥き出しの感情にさわることがない。 でもそんなもんだとも思う。生きていて何かしらが起きる瞬間と、感情や思考が生まれ、それが「感情として感じられるまで」「思考になるまで」の間には距離があって、それを他人がさわったり見えたりすることはあんまりない。 もし彼らと私が出会っても、実際に交わせるのは「」で囲まれた、発話された部分だけにすぎない。 だから、されなかった部分に思いを馳せること。 実際、この本を埋めるのはそういう、自分や自分以外の相手、またはさまざまな出来事、物に思いを馳せる時間で、この作業こそが私たちとさまざまな人や物、空間、または時間との関係を結び直すのだと思う。 これからやること、やらないこと、できること、できないこと。 これから出会う人、出会わない人、出会った人、出会えなかった人。(人だけじゃなく) それらすべてと平等に、地道に、ゆっくりと関係を結ぼうとするのがパク・ソルメなのかもしれない。
  • 2026年4月8日
    在日外国人と帰化制度
  • 2026年4月8日
    わたしもじだいのいちぶです
    わたしもじだいのいちぶです
  • 2026年4月8日
    在日外国人
    初版から第三版まで借りました。(比較用)
  • 2026年4月8日
    モモ
    モモ
  • 2026年4月8日
    アムリタ 下
    アムリタ 下
  • 2026年4月8日
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