世界 2025年12月号

6件の記録
くりこ@kurikomone2025年12月25日まだ読んでる「民主主義の最後の砦、アメリカ公共図書館の今」を読む。 この論考によると「アメリカ合衆国で最も反体制的な公共機関の一つが公共図書館」なのだけど、第二次トランプ政権以降、人種、ジェンダーアイディンティティ、社会正義などをテーマにした作品が禁書にされているという。まさに反DEI。そんな中すべての人に開かれた図書館を作る為アメリカ図書館がどう奮闘しているか。 ホームレス状態にあり社会保障から漏れてしまった人たちの居場所になり、スタッフの中には元ホームレスの人がいる。彼らの痛みを知っているからこそ、支援し、教会や就職窓口を案内するスタッフたちを想像して、地元で行われているジェントリフィケーションによってホームレスがいなくなり管理された公園やタワーマンションとなった街並みを想像した。一見美しいが、無駄がそぎ落とされ、「誰がここにいていいか」選別する姿の醜悪さ。(ちょっと前までタワマンに憧れがあったのだけど、その土地から排除された弱い人のことを想像すると、私が住みたいと思っていたエリアは人の犠牲の上に成り立っていたのだな。) 差別の根底にあるものは「穢れ」かなと思う(聖書の時代、ユダヤ人は穢れを払うため服を何回も着替え手を洗いまくり潔癖さを求める一方、サマリア人、障害者をはじめとする周縁化された人を排除した。コロナが流行っている時も皆が手を洗ったり消毒したりしていた。「穢れを払う」意識が私たちに巣くってしまったから、今の排外主義の時代に入ってしまったのでは)。 ここでさらに「穢れを排除」したいことの根っこを見つめてみると、「自分の内側の穢れを観たくない」という気持ちが浮かび上がる。 他人を差別することは、自分の内側にすでに存在している「差別される側にあるような”汚れ”」を排除したい気持ちと同義なのでは。一時的に他人を差別して留飲を下げても、自分を拒絶しているのだから、どんどん差別を加速させるしか手段がなくなっちゃう。私はそんな人たちには絶対反対。 図書館という知が詰められた公共空間が社会正義を守ろうと踏ん張りホームレス支援を続けることは、「トラウマを脱植民地化する」でルワンダの人々がコミュニティ全体を再生することで皆のトラウマを癒す過程と似ている。 昨今の排外主義的言説が溢れた社会を修正するには、弱きものが安心して過ごせる場所を大量に作っていくことが一つの手段なのだと思う










