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くりこ
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@kurikomone
  • 2025年9月30日
    ケアの倫理
    ケアの倫理
    ずっと後手後手にしてた本。やっと図書館で借りてきた! 第一章を読む。 ラディカルフェミニストと、リベラルフェミニストの違いがいまいち分かってなかったのでそこから解説してくれるのが良い。なかなか面白い本!
  • 2025年9月30日
    女の子たち風船爆弾をつくる
  • 2025年9月29日
    アンジェラ・デイヴィスの教え
    アンジェラ・デイヴィスの教え
    BLMに多大な影響を与えたアンジェラデイビスの本。冒頭からかっこよさが伝わってきてテンション上がるーー! p.17〈私は共産主義者で、進化論者で、国際主義者で、反人種主義者で、反資本主義者で、フ ブロ・ワーキング・クラスエミニストで、黒人で、クイアで、アクティヴィストで、親労働者階級で、革命家で、知的コミュニティ構築者です。〉 p.14<自分では変えられないものを私はこれ以上受け入れるつもりはない。自分が受け入れられないものを変えていく>
  • 2025年9月28日
    「女の痛み」はなぜ無視されるのか?
    「女の痛み」はなぜ無視されるのか?
  • 2025年9月28日
    日本のポストフェミニズム
    第二章 「日本におけるネオリベラリズムジェンダー秩序」 性別役割分業や女性の社会進出がネオリベラリズムとどう結びついて強化されているかの指摘に目から鱗。 忘れそうなので下にメモ。 ーーーーーーー 1, 85年の男女雇用機会均等法を著者は日本型新自由主義の始まりでありフェミニズムの敗北と指摘する。 「コース別雇用管理」(基幹的業務で責任、仕事量、配置転換、転勤が多いが昇進昇級等の待遇はよい総合職に男性、補助的業務で仕事量や責任は少なく、転勤、配転はないが待遇は低い一般職に女性を配置する)によって、男女の性別役割分業は強化される 2, 99年 男女共参画社会基本法 均等法で確立されている賃労働のジェンダー秩序は温存されたまま、男女二元論を国家に向けて参画する目標を設定し、それが望ましい社会の在り方だという認識を打ち出した。「2人稼ぎ手」の新自由主義的な社会的再生産は法的な支持を得た。 3, 2015年 女性活躍推進法 国家を中心とした男女二元論に立って邁進する女性の在り方がモデルとして挙げられた。企業と一体化する女性を増やし、人的資源の再生産も協力に期待されている(これが、いわゆるリーンインフェミニズム)
  • 2025年9月27日
    わたしが誰かわからない
    最近頻度は少なくなったものの、昔の私は他者と長く関係性を持てば持つほど、自分の行動が私の意志によるものか相手の意思によるものか分からなくなることがよくあった。 小さい時は他人の痛みが自分の痛みみたいに感じられて苦しかったこともあって(今もその傾向はある)自他の境界のない人の特徴だから治したいと思ってた。しかし著者が、ヤングケアラーはケアするものケアされるものの両者の間の行き来が頻繁に起き、自己崩壊と自己保存が起こるため自我境界の融解というレッスンを日々受けているのだと、その特性を悪いものととらえず、違う視点で考えてるのが面白かった。 「自己の輪郭が溶け出し開いている=誰かのために生きていることは、自分のための生もまた同時に燃え広がっている」とラストで書かれていたのは、ティックナットハンのインタービーイングに近いのかなと感じた。 ヤングケアラーの語りの本は色々読んできたのだけど、著者が「書くことができない」ことを経て、より深いところに潜り、ケアとは何かを0から構築している。私のケアの経験も違う角度で照らしてくれた。読んでよかった。 p.182 〈幼いころから敏感に感じていた自我の揺曳は、精神的に不安定な母に付き添う時間のなかで育った感覚であるともいえる。つまりヤングケアラーである自分はずっと、自我境界というレッスンを続けていたといえる。母の具合の悪さや不安が、部屋のすみずみまで伸び縮みするように感じ、そのなかで時間も伸び縮みし、時計の針の音が妙に大きく、自分の鼓動のように感じる。〉
  • 2025年9月26日
  • 2025年9月26日
  • 2025年9月26日
    他者の苦痛へのまなざし
    他者の苦痛へのまなざし
  • 2025年9月26日
    わたしが誰かわからない
    幼少期から暮らしてた叔母は八年前に亡くなった。彼女との思い出は正直に言ってしんどいことがとても多かった。重度の障害を抱え、排泄着替え食事の介護を家族で担い、医師には医療を断られ、彼女の「問題行動」に振り回されていつも家は内戦だった。 いつも私の中で彼女が生きてた時間は混沌としててパズルのピースがバラバラになったように散らかっている。私がフェミニズムや、家族をテーマにした文献をよく読むのもその時間を整理したいと言う思いがある。 精神疾患の母を持つ著者がヤングケアラーをインタビューして自身の体験に向き合う本。 他人の意思を先回りして自分の意思より尊重してしまう癖、ケアしてる人との境界が曖昧になり自分がわからなくなること、もう死ぬのではないかと言う目に遭っても少しの日常会話で平安が訪れる家族の不思議な力学についての言及など、 私と似通ってることが多くて自分自身が浮き彫りになる。 なにより、他の人の方がもっと大変な目をしてるのではないかと言う思いや、自分は家庭内で被害者でもあり加害者でもあることの負目から、自分が「ヤングケアラー」と言っていいかわからないと言う著者と同じ思いを私も持っており、重度障害の家族がいたとは話せるけど、ヤングケアラーだとは表明できない。私が、ヤングケアラーと言った途端、「家族をダシに使ってる」気がしてしまう。 自分の状態を表明することを家族のしがらみによって憚られること、大変息苦しく日本の家族の閉塞感を示してるように思う p.96 <とくにどこかでできてしまった傷、えぐられるような傷を自分のなかに感じているならなおさら、語られないことのほうが重い、語られないことのほうに意味がある。こうして一生懸命に書いているが、ここで語れないこと、語りたくないことのほうに圧倒的に意味がある。語らないことで、心が落ち着く。語れば落ち着かなくなり、それを無理やり落ち着けようとして、無理な着地点を探して、安っぽく類型的になる。>
  • 2025年9月26日
  • 2025年9月25日
    わたしが誰かわからない
    p.47 <共依存といえば簡単だが、家族の暴力や支配関係のむずかしいところは、悪をただ悪として排除して終わりというわけではないところだ。家族は相互に依存し合い、支え合い、どちらが悪にも善にもなりうる玉虫色の感情を生きている。もう死ぬと思うくらいつらいことがあって逃げ出したいと思っても、数か月もするとほんの些細な日常的な会話でなし崩し的に元に戻る。この元に戻る力が強いのが家族の力学だろう。>
  • 2025年9月24日
    日本のポストフェミニズム
    第一章 新自由主義と新保守主義について 新保守主義の伝統と文化(男女の役割、家族の在り方、性規範、出産子育て)を重要視する価値観と、新自由主義の「競争の自由」を主張することは車輪の両軸のように機能する指摘にはっとさせられた。 (新自由主義は競争の自由を主張して、さまざまな社会的差異や権力関係を不可視化されるのだから、 新自由主義こそ抑圧的なジェンダーセクシャリティ秩序そのものを本質として機能している。)
  • 2025年9月24日
    宗教右派とフェミニズム
    宗教右派とフェミニズム
  • 2025年9月23日
    シモーヌ( Les Simones) VOL.7
  • 2025年9月23日
    シモーヌ 2025年夏号
    シモーヌ 2025年夏号
  • 2025年9月23日
    性暴力被害の実際
    性暴力被害の実際
    性暴力にあった被害者の語りをたくさん知れて良かった。しかし性暴力被害者が被害について語る割合は全体の六割であることを考えると、まだまだ、私たち社会は被害者の声を聞くことを拒んでいるし言葉を奪っていると感じる。 被害に遭ったと認識できるまでに10年以上かかる人も22%いるらしい。ジャニー喜多川の性加害事件を見てもこれは明白だろう(虐待やDVでも同じことがいえる。私の場合、たくさん本を読み知識を付けて言葉を得たことが被害認識に役立った。) 性暴力の被害者支援が整っているイギリスでは、保育園、学校、会社、病院など、被害者の最初の相談先になるところでは必ず性暴力の研修をうけたスタッフがおり、疑われるケースは警察や専門支援機関に連絡することを義務付けられているという。 被害に遭った後に自責感に囚われたり二次加害を受けたりすることを避けるためにもイギリスのように被害者がすぐサポートできる体制が日本でも必要だと感じた。
  • 2025年9月23日
    さらば,男性政治
    なかなか面白かった!(というのも六月から某政党のお手伝いをしてて、色々モヤモヤすることがあったので考えるヒントをくれる本) 最後の章に少しだけフェモナショナリズム(女性の権利や、安全を守るという名目で、移民排斥を訴えるナショナリズム。 少し前に「移民が増える!」と騒いでたJICA解体デモが、緊急避妊薬の薬局販売解禁に飛び火して 彼らが「移民が女性をレイプする!」と言い出したのがフェモナショナリズムのいい例)の解説があるのも良い。 この本はまだ参政党が躍進する前の本なので、今著者が続きを書いたらフェモナショナリズムも含めてかなり違う考察になりそう。
  • 2025年9月22日
    政治分野におけるジェンダー平等の推進
  • 2025年9月22日
    さらば,男性政治
    第五章ミソジニーとどう戦うか で、政治がいかにミソジニーに支えられ動いているか知って愕然とする。こんな状態でジェンダー平等とか話し合ってるの、どうなん?? 政治とミソジニーで思いだすのが鶴ガ島市議の福島めぐみさんのことだ。彼女がクルド人の祭りに出席し差別を止めるよう発信したのがきっかけで講義の電話が役所に溢れた。 そのご、福島さんが「鶴ケ島市議会議員」の肩書を使って発信することで、市などの業務に支障をきたしているとして、発信を止めるよう賛成多数で可決 (この時の会議の様子がひどかった。全員が当たり前のように加害者の行為に加担している。まるでいじめ、彼女が無所属の女性だから酷い扱いを受けているのだ) さらには石井孝明氏にデマを流され名誉毀損で訴える羽目になっている。https://news.yahoo.co.jp/articles/99056f2bf0a41c521f3e55e791d8b1ab071c3e84 印象に残ったところ p.211 <組織内の男女比に注目した古典的著作を著したロザベス・モス・カンターは、女性が一五%以下の場合は飾り(トークン)のように扱われ、その存在がいわば悪目立ちし、男性以上に厳しく言動が査定されると指摘する。女性であることが常に強調される一方で、男性文化への同調が求められるという。女性の数があまりに少ないと、女性もまた多様であるにもかかわらず、過度に一般化された男女の相違(つまりはステレオタイプ)が強調され、能力を発揮することも妨げられてしまうのである。>
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